飯地山里つうしん この地にたどり着いて 1
山里の春と『苦海浄土』
空き家になってから5年ほど、米作りを全くやらなくなってから10年以上が過ぎた状態で、私たちはこの場所を引き継いだ。昔通りに復元することは不可能だが、石垣を覆った土と草木を取り除くことはできる。少しずつでも手を入れていけば、ただ荒廃しているのではない、美しい廃墟のような独自の世界を造り上げることができるかもしれないと思う。
土と草を引きはがしたときに、石垣の間で冬眠していた拳ほどの大きさのガマガエルをいっしょに引き摺り出して、ボテッと地面に落としてしまった。蛙はものすごく迷惑そうな様子なので、慌てて石垣の隙間に戻してやる。するとノソノソと石垣の隙間に消えていった。その後ろ姿の可笑しさといったら!
棚田の真ん中にある溜め池には名も知らない小さな魚が暮らし、小さなゲンゴロウやイモリや蛙たちもたくさん暮らしている。農薬や化学肥料を使う慣行農法の田んぼにはほとんどいなくなってしまったドジョウ、沢蟹もいる。毎朝のようにアオサギがやって来る。鴨もときにはやって来る。大きな声で鳴きながら美しい雄のキジが雌を追いかけている。森からは昼間はうぐいすの声、夜はフクロウの声が聞こえる。私はまだ野生のフクロウに出会ったことがなく、彼らに出会いたいというのが、願いのひとつだ。
ここ全体が庭なのだ。石垣と野草を愛でる庭。
耕作放棄地が広がり、ところどころ荒れてはいるけれども、だからかえって多くの生き物たちが暮らすビオトープになっているのだ。いつか田んぼを一枚だけでも再生させたいと思っているが、彼らが暮らすことができる田んぼにしたいと思う。春がやってきてからというもの、私は毎日、家の周りを飽かず歩き回っている。
こんなに美しい春の日々に、『苦海浄土』三部作の合本を手に入れて読んでいる。なかなか読む時間がないのだが、少しずつゆっくり噛みしめる様に読んでいる。内容も重いが本も重たくて、机の上に置くか、ソファーに膝を立てて横向きに座り、クッションを置いた上に載せて読んでいる。そうしないと手首が痛くて耐えられない。ときには、本とクッションの間に猫の“うずら”が割り込んできて、クッションを外してうずらの背中に本を載せて読んでいる。
第1部『苦海浄土』と第2部『神々の村』は震災原発事故後すぐに手に入れたのだが、少し読んでみたものの、避難生活の中で読むにはハード過ぎて投げ出してしまい、積読になっていた。こちらに来て生活に慣れた2年目に、ようやく読破することができた。第3部『天の魚』は単独ではもう出版されておらず、最近やっと合本を手に入れ、第1部から通して読むことにした。
原発事故を体験していなかったら、『苦海浄土』を読むことはなかっただろうと思う。
そして、昨年末、この町ににわかに勃発してしまったメガソーラー問題がなかったら、3部作の合本を手に入れて最初から読み返すようなことはなかっただろうと思う。
飯舘村から車で50分ほどの飯野町での5年半に渡る避難生活を経て、私は縁あってこの場所にやってきた。出身地の名古屋へは帰らず、再び田舎暮らしを選んだ。この場所で、飯舘村で営んでいたような農的暮らしを取り戻し、静かに暮らそうと思っていた。
それなのに、「原発よりも安心安全な自然エネルギー」というお墨付きを得て、原発事故後に急速に広がった、いわば原発事故の鬼子のようなメガソーラーが、よりによって自分が移住してきた町に建設されようとしているなんて…… 天に「時代からは逃げられない。起こっていることをしっかりと見つめよ!」と言われているような気がした。自分だけ福島から離れて静かに暮らそうだなんて、虫がよすぎたのだと思う。
もともとは林業を生業としていたこの町のある会社が、いち早くソーラー事業を起こしたこともあって、飯地町にはすでに他の地域に比べて多くのソーラーパネルが設置されている。
今回の計画はそれをはるかに上回る規模であり、外資系の投資会社が間に入り、「杉の沢」という隣の地区には見渡す限りソーラーパネルが並んでしまう。他の小規模な計画もすべて実行されたら、飯地中ソーラーパネルだらけになってしまう。私はその横を通るだけでも嫌だなと思っていたのに、杉の沢の住民は日々メガソーラーの中で暮らさなければならなくなる。
どんな弊害が起こるかわからないが、森林に囲まれた生活から無機質なソーラーパネルに囲まれた生活になってしまったら、精神的な被害は計り知れないと思う。
震災後の飯舘村の風景を思い出す。
美しかった田園風景は、除染で排出された汚染土が入ったフレコンバックの山が並ぶ、戦場のような風景に変わってしまった。除染が終わった田んぼの一部にはソーラーパネルが見渡す限り並んでいた。そこは秋になるとトトロのような姿の“つくし”と呼ばれる稲架(はさ)掛けが並ぶ、大好きな場所のひとつだった。飯舘に帰り、破壊された景色を見るたびに私は胸が苦しくなり、体調が悪くなるようになってしまった。村には何の罪もないのだけれども……
一生懸命手入れしてきた飯舘の我が家の田畑や庭が、年を追うごとに荒れ果てていくのを、為す術もなく見続けなければならなかったことも辛かった。身近な風景が破壊されるということは、自分の一部を破壊されるようなものだと思う。
『苦海浄土』には、水俣病事件以前の水俣に存在していた、いのち溢れる世界の中で生きることの豊かさ、心地よさが繰り返し語られている。私が最も心惹かれる部分だ。
春がやってきて、冬の眠りから目覚めた生きものたちの世界に触れながら、この場所で暮らすことは、まさに至福のときだ。その場所で暮らすものから住処を奪うことが、どこまで許されるのだろうか。だれに破壊する権利があるというのだろうか。
石牟礼さんが問い続けたその問いに、原発事故後の飯舘村で私は捉えられた。
今も問い続けている。
- 写真はすべて筆者撮影。