『ひらけ!モトム』によせて
2023年5月、広島~江田島 世田谷に暮らす団塊世代の重度身体障害者・上田さんの旅
その4モトム、故郷に帰る
江田島にて 母校訪問
5月8日(月) 広島県江田島市立中町小学校校長室
(つづき)
上田 まあ、いじめとかは、親が一緒だったんで、たぶん出来なかったんだと思う。
上本校長 お母さんはずっと、教室にも、一緒に?
上田 ついてたんです、はい。いいような、悪いような。嫌な思い出はあんまりなかったので、同級生にも。同級生にJさんっていたんですけど・・・
津留 女性なの?
上田 そう。 毎日うちに遊びに来てくれて。いろいろ、いい思い出があります。
上本校長 ふうーん・・・
上田 徳正寺さんって、お寺さんがありますでしょ。
上本校長 徳正寺?
上田 はい。その向かいにあったんですよ、僕の家が。
上本校長 徳正寺のあたり、向かい側ですか。駄菓子屋さん、なかったですかね?
上田 駄菓子屋はなかったかな・・・
上本校長 あれ・・・ お菓子、売ってなかったっけ。どっちが正門?
上田 こっちからいうと右側です、たしか。
上本校長 本堂に入る方が、正門ですよね?
上田 違います。そっちは裏門だったような。
上本校長 ・・・Jさん、見つからないなあ(アルバムをめくり)・・・同級生? あ、います! います! Jさん! ふううん・・・
上田 初恋の人です.
津留 初恋の人。
上本校長 初恋の人! 爆弾発言ですか、今の(笑)
上田 両親はもう、父が87年に、母が2003年に,亡くなっているんですけど、両親の理解がなかったら、こちらの学校を卒業できていないと思うんです・・・
上本校長 ほんとうに、どんなところにご縁があるか・・・
上田 いいえ・・・ このご縁に、お手紙をいただけたら嬉しく思います。
上本校長 ありがとうございます、わかりました。ちょっと、じゃあ、お時間いただいて、読ませていただきますので。
津留 わたしは、いろんな障害のある人の介助をしてきたんですけれども、この(上田さんの)世代の人は、まだ小学校に行く場合があったんですよね。今はもう、行けないけれど・・・ 特殊学級とか、支援学級みたいな形に入っちゃうから。(上田さんを)見ていると、独立心があるって言うか、自分で拓いていくっていうか。でも、どうしても、支援学級に行く人たちは・・・ なんていうかな、教える内容も、「自分で着替えが出来る」とか、まずは生活を大事にしていて。なので、いま障害者運動で若い人に会うと、たとえば「漢字が読めない」とかいうことが、あるんですよね。上田さんの場合には、みんなと一緒の小学校に行ったことが、財産になってるんじゃないかな、と僕は思うんですね。
上本校長 (本を開いて)これは、聞き取りして、論文いうか、字におこされたものを本にされたんですか。卒論でそういうテーマを選ばれたのは・・・なにか、きっかけが・・・?
岩下 僕の場合は、上田さんとバイトで知り合って・・・
上田 いやバイトのまえに・・・
岩下 ああ、本にも書いたんですけれども・・・「さようならCP」*っていうドキュメンタリー映画があるんです。「青い芝の会」っていう、障害者運動のさきがけで、かつ、いちばん激しく運動していた団体の、その当時のようすをおさめた映像で。その上映会に、上田さんがゲストスピーカーみたいな感じで、いらしていて。
* 原一男監督、1972年作品。CPとは脳性麻痺(Cerebral palsy)のこと。参考:原一男監督のサイト、復刻DVDの予告編動画
上田 映画を上映しているときに彼が来てくれていて、で、たまたま話しかけてくれたので、介助してみないかっていう感じで、取り込んだっていうか(笑)
岩下 その日にその場で誘われて(笑)
津留 「人を見たら介助者と思え」っていいますから(笑)
岩下 で、そのままやってしまった、という感じなんです。
上田 ご縁ですね。
上本校長 ええ、ええ(笑)
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