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飯地山里つうしん この地にたどり着いて 3 小林麻里

闇が深まれば光も強くなる

私が東日本大震災での福島第一原発事故後に最もシンパシーを感じたのが、水俣の北、芦北町女島の漁師、緒方正人さんの言葉だ。今回、再び彼の著書『チッソは私であった』(葦書房 2001年)を読み返している。

水俣病事件に限定すればチッソという会社に責任がありますけれども、時代の中ではすでに私たちも「もう一人のチッソ」なのです。「近代化」とか「豊かさ」を求めたこの社会は、私たち自身ではなかったのか。
<中略>
実は水俣病事件がチッソの人たちや、行政の人たちに突きつけている問題というのは、認定や補償の問題は本質的なことじゃなく現象的なことであって、生きる意味を突きつけて考えさせようとしているんだと思います。目の前でとれる魚(いを)、タコや、貝や、海老や、魚がいっぱいおるわけですけれども、そのうしろの山ではワラビや、ゼンマイや、ツワブキが採れて、畑でも野菜がとれて、虫がそこら辺にうろちょろうろちょろして、鳥も飛んで、そういう世界が壊された事件だと思います。
<中略>
壊していることの痛み、自然の痛みをさまざまに感じ取っていかなければいけないんですが、そういう自然の命に目覚めるということが、私たちの大きな課題としてあるように思います。何よりこの世に生まれて、生かされて、生きて、生き抜いて、そして、見事に死にきりたいですね。(『チッソは私であった』49頁、74頁、75頁より)

私は、メガソーラーは作らないけれども、毎日電気を使い、車を運転して暮らしている。プラスティック製品を大量に消費し、ゴミをたくさん出している。環境破壊に自分も全く加担していない訳ではないのだ。それは原発事故後にも思ったことだ。

緒方さんは、父親を劇症型の水俣病で喪い、ご自身も水銀に侵され、多くの人たちの塗炭の苦しみを目の当たりにし、私の体験を遥かに超える過酷な体験をされている。「小さいときに親父を殺されて、チッソをダイナマイトで爆破してやりたいと思っていた」というほどの激しい怨みを懐きながら、10年以上チッソや行政と闘った末に、精神が破壊される一歩手前まで追い詰められてしまう。そのどん底で怨みを超克して緒方さんが辿り着かれた境地には、なかなか到達できないけれども、相手を責めたり恨んだり糾弾したり、そんなことばかりに人生の時間を費やすようなことはやめたいと思う。泣いたり、怒ったり、叫んだり、さんざんジタバタした後は、もう前を向いて生きていくしかない。

こういう事があると往々にして、住民間の分断が起きてしまうが、今回の問題が起こったことで、町内で想いを同じくする人たちとの絆を深めることができた。
闇が深まれば光も強くなるのだ。闇は闇として存在し続けるけれども、その闇の存在が気にならなくなるほどに、仲間と共に飯地をより良い町にしていきたい。

飯地にはまだまだ豊かな自然が残っている。
日増しに春めいてきた我が家の周りを歩けば、小さな野の花々が咲き、ショウジョウバカマの繊細な花が開き始め、ふきのとうが顔を出し、カタクリの葉っぱが出始めたのに出会う。もうすぐコロコロと美しい声で赤ガエルが鳴きはじめることだろう。それを私は今か今かと待っている。

そして、私にはもうひとつ大切な場所がある。それは飯舘の我が家があった場所だ。山林や原野を合わせて7haある。飯地のメガソーラーは19haだからその3分の1ほどだ。あの場所すべてがパネルで埋まり、まだ足りない面積なのだと思うとぞっとする。

昨年9月に3年ぶりに飯舘へ行った。我が家の解体のために、環境省と請負業者との3者による立ち合いが必要になったからだ。

飯舘の我が家は震災2年目の冬に、2階の和室横のトイレの水道管が凍結して破裂し水が流れ続け、和室が水浸しになり、階段を伝って1階まで達した。3月の初めに3カ月ぶりに家に戻ったとき、玄関から水が流れ出ており、慌ててドアを開けて中に入ると、居間は爆弾が落ちたかのような惨状になっていた。1階の居間の天井の断熱材やボードにも水が染み込んで落ちてしまったのだ。今もあの時の衝撃を忘れることはできない。すぐに清掃業者を頼んで、畳や階段下の収納庫に入っていたものなど、水に濡れてカビが生えてしまったものをすべて捨て、掃除もしてもらったけれども、家全体がカビ臭くなってしまった。

そんな状態になってしまっても、福島で暮らしている間は解体を決心できなかった。そのまま自然に還し朽ち果てるに任せようとさえ思っていた。けれども、こちらに来て新しい暮らしが始まり、落ち着くことができたらようやく決心できたのだ。2000年に亡き夫が建てた、思い出深い家だった。

震災から8年。そのままにして置いて来てから3年。どんなに荒れ果てていることだろう。そんな様子を見たら、自分はショックでおかしくなってしまうのではないか。到着するまで不安で不安で仕方がなかった。

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