なんか空気感として、教育委員会にこっちの現状を伝えてもどうにかなるわけじゃないんだから、みたいな無力感があったとか。
君が先生だったら、2ヶ月ただ待ってる?
自分から電話かけちゃいけないっていうのもそうだけど、自分で決めて自分でやるっていうことが、ダメなんじゃないかって、空気的に思ってると思う。
え、でもそれはマズくないか?
うーん、なんか、自分が最初に始めるんじゃないんだったらいいかも、とか思ったり。他の人が始めたら、私もやろう、とか。
それ、最低だと思わないか?
ええ、でも、それふつうになんか、ちょっとさ、思わない? 自分が最初にやっちゃったら、なんだコイツとか思われちゃうかもしれないって。それを責任ある大人がやっていいのかって話はあるけど。
じゃ、その空気に飲まれないためには何が必要だろう?
え……? 自分が最初にやったら、周りの人たちもきっとついてきてくれるって思うこととか?
ああ、信頼ね。それは重要だね。じゃあ、ついてきてくれなそうな場合は言えない?
うーん…… 空気によるかなあ……
……意外とそういう姿勢なんだね。
ふつうは10代とかは、そうだよ。
2ヶ月くらい前にさ、Eテレの「100分で名著」で、ハベルの本の話を見たじゃない。社会主義政権下のチェコスロバキアで、政府のスローガンを掲げなかった八百屋さんの話があったよね。空気にのまれないために何が必要って話だったけ?
そのフレーズの意味を1回しっかり考えてみる、みたいな?
「八百屋さんとしていい仕事をしよう」って話だったよ。「このスローガンを掲げても、いい八百屋になれるわけじゃない。むしろお客さんのジャマになる」って、そういう考え方だったよね?
たしかに。つまり、先生としていい仕事をしようってまず思って、そのための行動をとるってこと?
つまりね、きまりとか規則って、状況によっては合わないこともあるわけ、緊急時とか社会が変化したりとか、決まりのとおりにやってたら死んじゃうとか。そういうときは、決まりは破っていいってこともある。何でも破っていいってもんでもなくて、そのときの基準は、やっぱり「いい仕事しよう」ってことだと思うんだよね。
周りにどう見られるかじゃなくて、先生なら子どもたちに電話しなきゃ、って思えるといいってこと?
そこで自信が持てるかどうかは、やっぱり自分の仕事に対する誇りがあるかどうかだよ。あとは、そういうときどうしたらいいか、知識がないとできないよ。どこの誰に言うべきかとか。でもね、そのために勉強するわけ、社会とか公民とか。
どういう権利を行使しなきゃいけないのかとか、どうやったら行使できるのかとか?
どういう文章を書いて訴えたらいいかとか、数字で示せるといいとか。知識があると、いざというときに動ける自信がつくんだよ。空気に従ってなくても。
自信がないから動けないのかな…… たぶん先生たちも、会議とかでは、「子どもたちの様子を確認しましょう」とか「電話してみましょうよ」とか言ってたと思うよ。
生徒を放ったらかしにしているつもりはなくても、大人たちがいい仕事をしようとしているのが、なかなか見えないじゃない。学校の中で議論してましたとか、文科省のなかで議論してましたとか、言うとは思うけど。
定期的にさ、どんどん発信していけば? 「先生も腕立て伏せにチャレンジしました」とかじゃなくて、会議でこういう話が出て、こういう議論になりましたとか、伝えるっていう流れができてほしい。
それは、いわゆる情報公開ってやつだね。
こういう意見が出て、こういう費用がかかったりするので、それについて検討します、とか。子どもには意味がわかんない話でも、親が見たら、なるほどってなるかもしれない。
それがないってことだよね。だから、うまく動けなかったところも含めて、きちんと発信していくことから始めるのがいいと思う。あなたなら、どう? なんかさっき、心許ない返事だったけど? 誰かが始めるのを待つとか、それ津波だったら死んじゃうよ。その姿勢は、いいと思う?
いやよくないよ。けどさ、そういうことってさ、教育現場だけじゃないじゃない?
ふうん、じゃ、あなたの今の考えはどれですか、次の中から選んで下さい。その1、特に関心は無い。その2、まずかった点にはきちんと怒って改善してもらいたいと思う。その3、事情はわかるのでなあなあにしておく。
その2かな。
その2ですね。その2なんですね?
……うーんうーん、でもなんか、やっぱり自分だったら、とりあえずまず今怒られないことを優先するかも。
それは0点のテストを捨てるのび太と一緒では……
(つづく?)