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南インド放浪記 青木麻耶 その2

アーユル・ヴェーダの日々

スネハパナ最終日。どでかいコップに並々注がれているのを見るだけで気持ち悪くなった。さすがに体が重く、夕方まで全くお腹が空かない。

この日でスワルナとニキラともお別れ。何もできないスネハパナ期間中、彼女たちの存在は本当に大きかった。
「あなたのおかげで、ここでの滞在がとてもカラフルになったわ」とスワルナ。彼女たちも同じ気持ちでいてくれたことがたまらなく嬉しい。

彼女たちが帰った後は、しばらく心身ともに辛い日々がつづいた。

スネハパナが終わり、久しぶりの散歩に出たけれど、筋力が衰えたからなのか、ここ数日あまり食べていないからなのか、少し歩いただけでめまいがする。
部屋に戻るなりベッドに横たわり、呼吸を整える。体だけでなく心も重い。
自分はこれからどうして生きていきたいのか、ひたすら頭を悩ませた。

朝食は大好きなプットゥ(前話でも登場した米粉の蒸しパンのようなもの)。久しぶりのおかゆ以外の食事はやっぱりおいしいし、食べ物が食べられるというのは幸せだ。

プットゥ
プットゥ

この日からは下剤と浣腸で毒を排出する施術がはじまった。便がひたすら油ぽくて、ああ、やっぱり体は自分が入れたものでできているんだな、という当たり前のことを実感し、無駄に入れるのはやめようと反省した。

話し相手がいなくなり、体も重だるく、なんだか何もする気がおきず、キッチンで時々料理担当のウーシャを手伝ったり、英語が堪能なジャヤやドクターたちとちょっとおしゃべりする以外は、部屋にひきこもる時間が増えた。

そんなある日のこと。タイムリミットが残り数日に迫る中、施術の効果もいまいち出ているのかよくわからないし、これからどうなるのかわからないという漠然とした不安や焦りに襲われて、気づけばぽろぽろと涙を流していた。周りのスタッフもみんな驚き、心配してくれたけれど、誰よりもわたし自身が驚いていた。

わたしの話を聞いてくれたジャヤは言った。
「家でもここでも問題は山積み。でもそれを頭に抱え込んでいたら耐えられないでしょう。だからそんな時こそ笑顔で乗り切るのよ」

ドクターは言った。
「僕にとってhappinessを周りに届けることが喜びなんだ。人生は短い。だから楽しくhappyとjoyで満たされないとね」

そして2人とも「ここにいるみんなは家族なんだよ。なんでも言ってくれていいんだよ」と言ってくれた。

ジャヤやドクターだけでなく、ここの人たちはみんな常に笑顔だ。彼女たちに周りの人を幸せにする姿勢を学んだ。そして自分のことでいっぱいいっぱいな自分の小ささが恥ずかしくなった。

キッチンに行くとウーシャが甘いお菓子をくれて、一緒にカレーとチャパティを作っているうちに、そんな気持ちも忘れて笑っていた。やっぱりこんな時はひとりで抱え込まずに誰かに打ち明けることだ。
みんな本当にやさしくて器が大きい。

残りの数日は気持ちを切り替えてたのしむことにした。
朝の散歩の時にはウーシャに頼まれて花を摘んできた。彼女はその花びらを水の上に浮かべて、曼荼羅のように美しく活ける。キッチンに入り浸ってはウーシャ流の料理も教えてもらった。ココナッツを削るのも、チャパティを丸くのばすのも、彼女がやるといかにも簡単そうなのに、いざやってみると力の入れ具合や角度がなかなか要領を得ない。

キッチンのウーシャ
キッチンのウーシャ

大胆かつ豪快なのに繊細さも併せ持ったウーシャ。中でも美味しかったのはジャックフルーツ(チャカ)という巨大な果物の未熟果を使ったカレー。食事は基本的にすべてベジタリアンだけど、チャカにはお肉のような旨味と食感があるのだ。

私が採ってきた花をウーシャが美しく活けてくれた。
私が採ってきた花をウーシャが美しく活けてくれた。
未熟果のジャックフルーツを圧力鍋で煮ると肉のような食感と旨味に。
未熟果のジャックフルーツを圧力鍋で煮ると肉のような食感と旨味。

ちょうどお祭りの時期でもあり、夜ウーシャと近くの寺院に出かけた。普段は誰もいないところがたくさんの人で賑わっていて、ステージでは次々と踊りや歌が繰り広げられ、ビリヤニが振舞われていた。

ウーシャとお祭りでビリヤニを食べる
ウーシャとお祭りでビリヤニを食べる。

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