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香港 あなたはどこへ向かうのか 2 阿古智子

上海で調査をしていた1998年から1999年をのぞき、私は1996年から2000年まで、香港で3年間生活した。

しかし、大学の教育は英語で行われるし、大学院生の仲間はほとんどが北京語を話す中国大陸からの留学生で、私には広東語を学ぶインセンティブも、時間的余裕もなく、今に至るまで、日常生活で使う簡単な広東語しかわからない。つまり、私が香港で交流していたのは、大学の友人やその関係者で英語ができる人、中国大陸から来た人たちが中心だった。大学院生のような知識層でなく、普通のサラリーマンをしている香港人の友人も数多くいたが、彼らが広東語でワイワイと議論する中に、どっぷりと入ったことはなかった。会話に入る時もあったが、通訳してもらわなければならないから、遠慮がちに時々しか発言できない。広東語での会話は実に楽しそうだった。友人曰く、香港の人たちは冗談が好きだし、地元ならではのネタやスラングが多いという。社会階層によって、そうした言葉の使い方にも違いがあるようだ。


香港で暮らし始め、効率と利益を追求する香港人の姿勢には驚きの連続だった。せっかちで儲けに貪欲だとされる「大阪人」の私でも、ついていけないほどなのだから。エスカレーターは速すぎて、最初の頃は、飛び乗って飛び降りる感じだったし、信号は色が変わるとすぐに「タタタタ」とけたたましい音が鳴り響き、また色が変わる。建物と建物の間や道路にせり出している樹木をすり抜けて走る二階建てバスが、巨体を揺らしながら狭い山道を急スピードで上り下りするのにも、初めて目の前で見た時は、開いた口が塞がらないぐらいびっくりした。挙手や声かけでどこにでも停車してくれるミニバスは、ちょっともじもじしている間に通り過ぎてしまう。私自身は、いわゆる「大阪人」よりも若干、穏やかなのだが、それでも、東京で暮らし始めた頃は、道ゆく人たちの歩くスピードの遅さや、エスカレーターで立ち止まって動いてくれない人にイライラしたものだった。そんな私が怖気付いたほど、香港のスピードは速いのである。

香港の旧正月の挨拶で使われる最もポピュラーな言葉は、「恭喜発財」。日本風に訳せば「あけましておめでとう」だが、直接の意味は「金持ちになっておめでとう」(商売繁盛おめでとうございます)。「金玉満堂」(家の中が宝で満ちあふれますように)とか、「花開富貴」(花が開くように富が満ち溢れ、金持ちになる)とか、金や富に関わる言い回しが多い。旧正月の休みに入る前に友人たちと連れ立ってよく行った花市には、香りの良い水仙、大きな花やつぼみをつけた桃、たわわに実をつけた金柑がところ狭しと並べられていた。広東語で金柑(ガムガッ)は、吉(ガッ)と同じ発音で、縁起が良いのだという。家に花があることは縁起が良いと、香港の人たちは新年を迎える前に花を買って家を飾る。

大阪人を凌駕するほどの香港人の「商売人」気質は、「レッセ・フェール」(自由放任主義、積極的不介入)の政策によっても培われてきたと言えるだろう。香港政庁は規制を少なくし、税率を下げ、企業と住民にできるだけ自由に利潤を追求させることで経済を発展させた。イギリスの植民地下において、公平よりも効率が優先され、経済発展に直接は関係のない社会福祉などの支出を削ったことで、このような政策の実施が可能になったのである。昨今は立法会(議会)で活発に社会保障政策が議論されるようになり、経済政策へのより積極的な介入や社会福祉予算の増加を求める住民の声も高まってはいる。しかし、富の分配はなかなか進まず、金持ちと貧困層の格差は驚異的な水準に達している。


私が学んだ香港大学のある香港島は、海が一望できる山頂辺りやミッドレベルの高級住宅街から、一番高度が低い場所にある貧民街まで、さまざまな社会階層の人たちが暮らしていた。標高によって家賃や不動産の価値が変わるので、住み分けの構図がわかりやすい。
私は最初の2年、大学の寮で暮らし、中国と香港を行き来している間は友達の家や指導教官の家に泊めてもらい、最後の1年あまりは、大学から15分ほど延々と坂道を下った標高の低い位置にある、所得の低い人口が集中する西環のアパートで生活した。そうした私の暮らしの生活風景と、留学生活の最初にお世話になった家族など、いわゆるお金持ちを通して見えた世界は、あまりにもかけ離れていた。

私は奨学金をロータリークラブからもらっていたので、留学開始のため香港に到着した日は、香港島のロータリークラブから、爽やかな若い夫婦が車で迎えにきてくれた。確か、中国から列車で入ったような記憶がある。今思えば、海外から到着する留学生を空港に迎えるのが普通だろうに、夫婦はバックパッカーのような格好の私を駅で迎えて、違和感もあったのではないだろうか。

大学の入寮手続きを済ませた後に、夫婦と子どもたちが暮らす家に連れて行ってもらうと、香港島のミッドレベルにあるマンションのメインルームはほとんどガラス張りで海を見渡すことができ、広々としたリビングの床は大理石でピカピカしていた。この夫婦は時折、クルージングパーティーやホームパーティーに誘ってくださったが、私は大抵は緊張で凝り固まっていた。夫婦は気を使って、研究分野の近い大学関係者や私と年の近い女性を呼んでくださったことを思い出す。


思い出話にばかり浸ってもいられない。私はなぜこの原稿を書くのか記しておきたい。
こんなぼんやりした言い方で伝わるだろうか――ずっと遠ざかっていた香港が、私の目の前に押し寄せてきて、毎日のように頭の中を駆け巡っているのだ。夢の中にも香港の光景がしょっちゅう出てくる。テレビの見過ぎだろうか。デモ隊と警察が衝突する香港が、200万人とも言われる人たちがデモに参加する香港が、頭から離れなくなってしまった。そしてこの12月、急に香港に行こうと思い立った。

11月24日に区議会議員選挙で70%以上の有権者が投票し、民主派が圧勝した直後で、香港社会は安寧を取り戻しつつあるようにも見えた。私はあまのじゃくなのか、何か大きな出来事が起こっている最中は、その事象に関係する場所や人たちから、なるべく距離を取ろうとしてしまう。香港についても、日に日に関心が募ってはいたが、私があの騒動のど真ん中に入って、何か見ようとすることはないだろうと思っていた。

それなのに、編集者の「行ってみませんか?」という一言で、ふと「行ってみようか」と思った。そして、「行こう。行くなら今だ」と、何かに突き動かされるようにして、香港行きを決めた。

12月5日の夜中のフライトに乗り、6日の朝5時に香港に到着した。空港でざっと身支度を整え、大きな荷物だけ預けてから行動しようと、中環のホテルに向かった。バーが立ち並ぶ蘭桂坊エリアからほど近いところにある。


中環のホテルになんて、高くてこれまで泊まったことはなかった。私が泊まったのは簡素なホテルの狭い部屋だが、それでも普段は2万円ぐらいする。デモが過激化していて危ないというイメージが広がっているため、香港の観光客は激減し、値段が普段の3分の1になっていた。荷物だけ預けて出ようと思っていたら、フロントの人が「部屋はいくらでも空いていますから、どうぞもう使ってください」と鍵を渡してくれた。部屋が使えるならと小一時間ホテルで仮眠してから、友人が紹介してくれた油麻地にある日本語学校を訪れた。

日本語学校の校長の福ちゃんとその友人である日本人の永井さんは、朝早いにも関わらず、笑顔で待っていてくれた。2人は最近の香港について知りたいという私の質問に一つ一つていねいに答え、2時間近くも話してくれた。永井さんは1歳にもならないお子さんを抱っこ紐で抱え、時折立ったり、座ったりして子どもを寝かしつけながら、こう話した。(ご自分で企業を経営されている永井さんは、時々一番下の娘さんを連れて仕事に出ておられる)。

「私は仕事で1ヶ月に1度ぐらい日本に帰っているのですが、日本では“香港は大丈夫か”って聞かれてばかりです。大丈夫ですよ。私の家族は毎日普通に生活している。戦争みたいにしていたら生活なんてできない。今の香港を知っているのは、ここに暮らしている人間。新聞やネット、テレビの画面から伝わる内容で、香港はこうだと刷り込まれることが怖いのです」。
一方、福ちゃんは「政治的な局面の変化に向かって頑張っているのです。市民の力で頑張るには限度がある。でも、果たせないことがあっても、自分たちの力で生み出せる希望、影響力、発信力があるはずなんです」と強調する。
戦場のように見える香港にどんな日常の暮らしがあるの? 香港の人たちが生み出そうとしている希望って? そんなもの、日本にいる時はなかなか見えなかった。

ここで暮らす人たちが「伝わっていない」と、イラついてしまうのはなぜなのか。

日本にいて、新聞やテレビ、ネットを見ているだけでは感じられないこと、見えてこないことは確実にあるのだろう。でも、それはいったい何なのか。なぜ見えないのか。どこにいる誰が何をどのように見ているのか。観察したり、感じたりしたことは、どのように発信されているのか。個々の発信された内容を、異なる世界にいる人々はどのように受け止めているのか。私は毎日のように、ソーシャルメディアで香港に関する映像や写真、文字情報を受け取っているが、そこに現れる事象はあまりにも複雑で、私の頭はこんがらがったままだった。

イラスト

香港に行こうと思ったのは、何がどのような背景の下で、どう伝わっているのかをもっと詳しく、深く理解したかったからだ。さらに、伝えられるべき大切な何かが、うまく伝わっていないのであれば、それを何としても知りたいという思いもあった。

現場に行って話を聞いてみよう。さまざまな立ち位置にいる人たちが、何に悩み、苦しみ、今をどう捉え、未来をどう展望しているのか。私が香港で暮らしたあの頃を振り返りながら、そして日本にいる私を通して、今を生きる香港の人たちを通して、書いていきたい。

  • 写真1:12月8日のデモの後、中環のオフィス街に新たに描かれていた落書き
  • 写真2:香港をベースにコンサルタント会社などを経営されている永井さん
  • 写真3:日本語学校の校長先生・福ちゃん
  • 写真4:貼り紙には「あなたがあきらめたら、誰がこの街を守るのか」と書いてある。「天滅中共」(天が中国共産党を滅亡させる)という落書きも。カエルのイラストは、マット・フェリーの漫画シリーズ『ボーイズ・クラブ』に登場する擬人化したカエルの「ぺぺ」を描いたもの。香港のデモ参加者たちは民主化運動の象徴として使っている。カエルの下に描かれたブタは、「連登」と呼ばれるインターネットコミュニティにアクセスすると、アイコンとして現れる。デモ参加者は「連登」で活発に議論しており、「連登ブタ」は彼らのシンボルとして広がっている。

いずれも著者撮影(2019年12月)

イラスト・森山朋香(日本の両親の下、香港で生まれ育ち、香港のローカルスクールに通っている高校生。この後、本文にも登場予定)

あこ ともこ 現代中国研究、社会学、比較教育学

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