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〈自由〉の〈門〉をめぐる話 阿古智子 その4

なぜ「平和」がタブー視されるのか

8月3日に中止に追い込まれた愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」では、韓国の彫刻作家が製作した「平和の少女像」を含む公立美術館などで撤去された作品を、その経緯とともに展示していた。「平和の少女像」をめぐっては少なからぬ騒動や論争が起こっているが、話題になること自体、社会に悪影響を与えると考える人もいる

(ちなみに「平和の少女像」という名称を外務省ほか日本政府は用いず、日本大使館前や総領事館前にある少女像について、「これらの像に係る元慰安婦についての描写が正しいとの認識を示すものでは決してない」としたうえで「便宜上」、「慰安婦像」の呼称を使用している。参照:https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000472256.pdf)

それは、一定の意味を帯びた「平和」がタブー視されているからだと言えるだろうか。

「平和」のタブー視は、特定の立場にいる人たちが意図的に「不適切」と考えるものを見せようとしない、広めようとしないように圧力をかけて生じている場合もあるだろうし、意識的・無意識的な集団の論理が働いて、公共空間に影響を与えた結果であるのかもしれない。

いずれにしても、さまざまな情報や考えに触れ、その中から自ら欲するものを見出し、異なる価値観を持つ人たちとの調整をはかっていくことこそが、民主主義の基本である。しかし、教育の現場では「政治的中立」が求められ、そのような主権者教育が積極的に行われているようには見えない。

筆者はこれまで、東京や沖縄の教育の現場で話を聞いてきたが、「偏った内容の教育をしていると言われるのが怖くて、論争になっているテーマを教えることは避けようとしてしまう」といった話を多数の教員から聞いた。選挙権年齢が18歳に引き下げられても、このような状況で若者の政治関心や投票率が高くなるはずがない。7月の参議院選挙では、18歳、19歳の投票率(速報値)は31.3%と、全年代平均の投票率48.8%(確定値)より17.47ポイントも低かった。

 

「子どもは物言えぬ」のか

6月下旬~7月初めの中野区議会本会議にて、共産党、立憲民主党、無所属の3人の議員が旧中野刑務所正門についての質問に立った(保存をめぐる議論の経緯は本連載1~3を参照)。共産党の浦野さとみ議員は、門の現地保存と活用の観点から、小学校との共存について、区民やその他の人々の声をより積極的に聞くべきだと述べた。立憲民主党の檜山隆議員は、明治維新以来の日本の近代的法治国家としての歩みを考えると、その象徴としての歴史がこの門にはあり、それこそが歴史的価値だと強調した上で、開かれた形での門の活用のあり方について質問した。

一方、無所属の稲垣淳子議員は、門に文化財の価値があるという理由で、狭い小学校の新校舎建設予定地にそのまま残すことに反対だとの立場から教育長に質問し、教育長から「門がない方がよりよい学校整備ができる」という言葉を引き出した。本会議でのこのやり取りを傍聴していた「平和の門を考える会」のメンバーは、「教育長の意図ははっきりとはわからないが、門がない方が自由に設計できるということではないか」と言っていた。

7月2日、稲垣議員はフェイスブック上で議会での一般質問を報告し、「大人の勝手な都合で、物言えぬ子供達の良好な教育環境が損なわれることがあってはならないと考えています」と書き込んだ。

私は、稲垣議員の考え方に疑問を持ったので、以下のようにコメントし、何度か稲垣議員とのやり取りが続いた。

いながき議員とのやり取りはこちら

阿古: 平和の森小学校に子どもが通っています。私がよくわからないのは、「物言わぬ子ども」というけれど、大人が物を言わせようとしていないのではないか、ということです。ドイツでもオランダでも、スウェーデンでも、論争になっている社会問題や歴史について、子どもたちに自由に議論させていました。小さな子どもにも、様々な教え方があるし、大人が押し付けるのではなく、考えるための様々な材料を提供すればいいと思うのですが……。門を残さない、という決定も、ある意味で、子どもにあれは学校にあってはいけないものだ、という価値観を押し付けていることになると思います。スウェーデンでは、価値中立性なんてありえない、というスタンスを取っているそうです。大人が子どもに影響を与えてしまうのは、致し方ないことで、私も色々と悩んでいます。門については、「お母さんは残した方がいい、小学校にあってもいいと思うけれど、いろんな考え方があるよ」と子どもに伝えています。子どもは子どもで、自分の想像力を働かせて、門をどうしたらよいか考えていて、大人を驚かせるような面白いアイデアも出してきます。

稲垣: 阿古智子さん、ありがとうございます。子供は色々なアイディアや意見を出せますが判断はできず責任も取れません。大人が意見を押し付けるというより、子供には担えない役割と責任を果たすということなのだと思います。そして当然、大人たちの中には様々な意見や考え方がありますが、それを最終的に取りまとめ、子供たちの将来を考え未来に責任をもてる決断をするのが選挙で選ばれた区長や区議なのだと思います。

阿古: 私は、子どもたちにとって、判断が難しいと思われることについて、大人がサポートすることに異を唱えているわけではないです。大人も子どもも一緒になって、開かれた環境の中で、学んでいくことが重要だと思います。私は親として、大学教員としてこの問題を身近にみてきましたが、子どもたちも保護者も、地域の歴史を学ぶ機会を与えられておらず、知識も情報も欠如しているままになっていると思います。区は専門家に意見を聞き、議会でも議論を尽くして、建築、歴史の観点から、保存をすべきだと結論を出したのではないのでしょうか。

稲垣: そのうち区議会のホームページに私の一般質問と区の答弁が掲載されると思いますのでご覧下さい。

阿古: 議事録を見させてもらいます。こちらの私の報告(*注)もよかったらご覧ください。平和の森小学校だけにかかわらず、中野区の学校建設、もっと住民の、子どもの視点から、地域ごと、学校ごとの特徴を考えながら、やっていけないものかと思います。議員さんたちに頑張っていただきたいです。

稲垣: 裸足の良さは聞いています。中野区内でもそれは可能かもしれません。

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