難以言喻的香港生活所思 ―香港の現在、言うに言われぬ思い-
何桂藍、Facebook からの発信
(日本語訳) 阿古智子、エスター
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33. 痛みを分かち合うことはとても難しく、痛みを共有することなどできない。壁の内側と外側を本当に貫通できるのは意志しかない。苦しみは、「私たち」の存在をあらわにするが、「私たち」を成長させることはできない。苦しみによって維持される共同体は、苦しみの中で無限に輪廻するだけだ。アイデンティティを定義するのは苦しみではなく、私たちがそれにどう向き合うかだ。今日の状況が香港の避けられない運命であるというのなら、少なくとも2019年の段階では、私たちは、自由の初心者村に留まっており、問題を次世代に先送りすることを選択せず、向き合うことを選択した。
34. 民主主義と自由は、決して平穏な日々を保証してはいない。本当の民主主義とは騒々しいノイズを意味する(香港人がそれを一番よく知っているはずだ)。自由とは選択することであり、選択について考えることであり、自ら選んだことに責任を取ることを意味する。自分自身が実際に何を望んでいるのかを考えずに、ただ義憤に駆られて、あるいは、他者を助けるとか、道徳的責任があるとかいうのなら、自由を感じることは難しい。
35. 自由とは、「私はこんなことができるんだ」と感じる瞬間だ。
現実と向き合う中で自らを知り、自分のあり方を考え続けることを通して、初めて真に自分が求めるものにたどり着くことができるはずだ。
36. そう、あなたは多くの問題や抵抗に直面するかもしれない。でも、現実と向き合う中でこそ自らを知り、自分のあり方を疑い続けることを通して、初めて真に自分が求めるものにたどり着くことができるはずだ。
37. 歴史は勝者によって書かれるのではなく、自由意志を持つ者によって書かれる。都市の肉体は消えず、古い魂は死に、新しい生命の誕生は苦痛を伴うに違いない。香港のすばらしさは社会的安定ではない。狂気じみた規律が張り巡らされた抑圧の中にあっても、これほどに力強い多様性が育まれるところに、香港の良さがある。その規制や抑圧のなかで、香港人は常にその境界線を越えることを強いられている:「香港とは何か」を定義することは誰もできないが、「香港はどうあり得るか」の境界線を広げることなら、誰もができるのだ。
38. 私の選択と行動は、「香港はどうあり得るか」に対する私の答えだ。学ぶことの喜びと、不可能な状況下でも他者とシンクロできることの幸福は、最大の収穫だ。このまま成長できるなら、より余裕を持ってさまざまなことに立ち向かいたいと思っている。
39. 今、私には何もない。手元に残っているのは、学習して得た知識、目撃した勇気、そして投入してきた熱意だけだ。幸い、私にはまだ好奇心があるし、志は澄み切っている。皆さんが、「思想の自由」という幻想に留まらず、勇気を持って自分自身と向き合い、自分を開き、世界を体験し、他者と交流することを心から願っている。あなたは現世で自由になりたいのだから。
「香港はどうあり得るか」という問いに、さまざまな答えが得られることを願っている。
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