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どら猫マリーのDV回想録 番外編

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そして、こう決める。

(父親による子の)遺棄を申請したのはもちろん私。でも、どうにかマトモな世界に止まろうと、必死で爪を立ててこらえていたあなたを知っているのも私。(その夫君が努力し費やした事実は)なかったことにされている。これぞまさしく暴力だね。あなたはたしかに加害者だった。でもある意味、被害者だった。そして私たちは仲間だった、家族だった。(第4回)

だから、

確かに、なかったことにしたい過去。やっぱりいなくなって好都合な雄猫くん。
とはいえ、なかったことにしてはいけない経験。ぐるりぐるぐる、思考はめぐる。
/だけどやっぱり書こう。考えよう。/そうしなければ失われてしまうことがありすぎる。/シェルターで出会った「外国人妻」たちもそうだし、私を助けてくれた人々もそうだし…… 何よりいつの間にか支配する暴力の恐ろしさは、やはり考え続けなければならないことだし、考えたい。しんどいけれどね。(第4回)

日本では東日本大震災からその後の10年間、韓国では2009年の通貨危機、2015年のMARS流行をまたぐ時期が、マリーさんが回想する年代だ。その少し前、韓国では移住女性労働者や、国際結婚女性の数が史上最大にまで増加していた。

そして、「その後の」女性たちの困難をうけて、移住女性緊急支援政策が展開していった。民間団体の韓国移住女性人権センターは、2001年にDV避難のシェルターを設置し、カウンセリングや法的支援、ボランティアによる韓国語教室も開催。2006年には移住女性緊急支援コールセンターが設立されている。

超高齢・超少子社会の韓国では、少子化対策でもある「多文化家族支援」がすすんだ。移住女性である妻・母とその子が、夫やその両親とのあいだで、韓国的夫婦規範・家族規範、言語の壁、子の教育をめぐる摩擦、結果としてのDVや離婚や虐待が浮上、国際結婚に特化した結婚仲介業への規制もすすんだ。

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