どら猫マリーのDV回想録 その10
マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” PARTⅢ
子どもたちをつれて教会を去る日、バスターミナルに向かって運転しながら、世話人の一人がこう言っていた。
「ごめんね。何もできなくて。本当に精一杯だったの。
だけど、あなた、韓国語が上手だったから救われたわ。
とりあえず、伝えたいことは伝えられたし、コミュニケーションが成立してたじゃない。
助かったわよ。幸せを願ってる。なんかさ、どうにかなるものよ。若いんだし」
……うまくまとめないでほしい……
それが、私の本音。
シェルターでの扱いが心地よいものばかりだったとは言えない。
スタッフの言動1つ1つは改善すべきものがある。とにかく、相手に対する尊敬のようなものの欠如とでもいおうか…。言いたいことは山ほどあった。ここで伝えるのが知恵なのか、それとも、おとなしく引き下がるのが良いのか私にはわからなかった。
シェルターに来るのは模範的な女性ばかりではなかっただろう。
自らの生活や人生を積極的にやり直そうとする人物ばかりではない。
優しさに漬け込む、それこそあざとい行為は、枚挙にいとまがないだろう。
ソウルのシェルターにも一人、すべてを損得勘定だけで捉えるような女性がいた。
彼女はモンゴル出身で、男の子を一人連れて保護されてきた。自己主張の強い人だった。
あれがない、これがない。あれはどうなっているんだと。でもそれは当然の権利とも思えた。彼女が存在するだけで周囲が緊張するような感じ、というのか。とにかくものすごい存在感だった。その上、保護されると同時に転倒したとかで足にはギプス。
言葉もままならない。生活もままならない。歩行さえもままならない。連れている子は、魔の2歳児と言われる男の子……。イライラもマックスだったとは思う。
シェルターで彼女と同じ部屋にいたのは、子どものいないベトナム人女性と、3歳の女の子を連れた中国人女性、そして、生後3か月の男の子を連れたネパール人女性、そして私の、合わせて4人。
それぞれに異なる事情を抱えていたけれど、共有していた思いがある。それは、「あれじゃあ、DV受けて当然だよね。」ということ。
私はずるがしこい女なので、あからさまに口にはしなかったけれど、協調性のない彼女の態度にはかなり疲れていた。
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