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どら猫マリーのDV回想録 その10

マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” PARTⅢ

ある朝、中国人女性が韓国語と中国語で歓声をあげた。
「マリー!来て! 私の憧れの人!!!」
楊貴妃…かと思った。全身輝くような女性が立っている。

「この人もDV被害者なんだよ。でももう独立していて、同じシェルターだけど別の部屋で子どもと住んでるの! またきれいになったんじゃない?」
お互いに忙しい。近くに住んでいても生活がすれ違ってしまうとなかなか会えないものだ。

この女性は中国語と韓国語の完璧なバイリンガルだった。どうやら、ご両親が複数のルーツを持つ家庭で、バイリンガルで育ったらしい。
経歴も立派で、職を得て、5歳くらいの男の子を女手一つで育てていた。決して多くはないが、シェルターを利用しながら、経済的な力を付け、独立する人も居るのだ。

それにしても美しかった。
今、保育園に立ち寄って、出勤するために子どもと手をつないでるから母親だと気が付くが、そうでなければ彼女に子どもがいるとは誰も思わないだろう。
「ほら、みんなにバイバイして」
と、韓国語、中国語の両方で子どもに促し、キラキラしたオーラを放ちながら階段を下りていった。

「マッサージ器。」
「じゃじゃーん」とでも言いたげに、中国人女性が部屋から持ち出してきた。
顔を挟み、両ほほを刺激するよくあるタイプの美顔器だ。
「彼女と知り合って、私も買ってみたんだよね。」
と、さっそく行っている。

保護される生活のなか、それを買おうと思った彼女のモチベーションが今いち、よく分からなかったが、確かに、あの美しさは衝撃的だった。
ああいうタイプの人間が周囲に勇気と希望をもたらすのかもしれない。圧倒されてしまって嫉妬もできない。中国人女性は、彼女に会ったとたん、ものすごい上機嫌だった。

女性にはなれないものが多い。
しかし、選択の仕方によっては、何にでもなれるのかもしれなかった。
それは多くのものを敵に回すようなことかもしれない。
時に世間は自己実現しようとするものに、厳しい。自己主張の強い老人や、自立しようとする障害者や、女になろうとする母親や。何かの型にはまらないものに特に厳しい。
身の程を知れと、世間は言う。
私は、どうして行けばよいのだろう。
私はどうしたいのだろう。
一人親として生きる覚悟、子どもたちから父親を奪う覚悟が私にはできなかった。

バイリンガルの中国人女性は凛としていた。彼女の美しさは、男性に媚びるそれではなかった。自分との約束。私の人生をいかにプロデュースするか。プロデュースしてやろうじゃないの、といった、凄みを感じた。

また同じような夜を迎えていた。
そのシェルターの近くには大学があった。飲み歩く人の声が聞こえていた。流行のドラマが大画面で映り、それぞれの事情を抱えた女性がそれぞれの夜を迎えている。ぼんやりと平和。また1日過ぎてしまった。自責の念にかられる。気を紛らわしたいけれど。
するとネパール人がつぶやいた。
「韓国ってヨーロッパに属するんでしょ?」

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