どら猫マリーのDV回想録 その10
マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” PARTⅢ
そのうち、ベトナム人女性も帰ってきた。
「おかえりー」というと、にっこりする。それにしても細い身体だ。
おなかが空いているのか、手洗いも早々にキッチンに行く。それはそれは手際よく準備するとさっさと食べ始める。「節約」と「規則正しさ」が後ろ姿に刻まれている。
彼女はもう明日を生きている。やるべきことをこなす。そのための、今。働き、稼ぎ、ベトナムの家族を守らなくてはならない。
「これ、もらっていいですか?」
中国人女性の食べ残しを、改めてレンチンして食べたりしている。
大画面には今流行のドラマが流れている。ストーリーはそれぞれに理解しているらしく、「ありえないよねー」
みたいなことを、それぞれの韓国語で伝えあっている。それぞれの一日が暮れていく。
このソウルのシェルターには、ひとりで家を追い出され、日本に逃げたあと、子どもたちを連れて出国するために韓国に再入国してお世話になっていたのだが、私は、このシェルターの運営元であるNGO、韓国移住女性人権センターが仲介となって、子どもを連れ戻してくれることを期待していた。
「電話してみたわよ。」
センター長が私の担当だったけれど、はつらつとした声で、一晩お世話になって翌日には連絡が来た。緊張したのか、口の中が一気に乾いていくのを感じた。
「嫌だって。ソウルまで来ませんかって言ったのよ。
話し合いませんかってさ。でも嫌だって。どうする?」
その後、彼の生活の横暴さや父親として適切でないことを証明する資料を持って、弁護士を訪ねもした。私はただ、誰か間に入ってほしかった。一緒に戦ってほしかった。
だが専門家からは
「そうですね……事情は理解したのですが、いかんせん管轄ではないので……」
という頼りない返答。
「だからさ」
センター長は弁護士事務所で出された緑茶を飲み干し言い放ったのだった。
「行くしかないわけよ。貴女が。で、子どもを連れて、出る。それだけ。」
何か、スーツでも着込んだ人が自宅マンションに行って、夫を説き伏せて、
「さあママが待っているわよ、行きましょう」
とかって子どもたちを連れだして、膝が崩れる夫が取り残される。私はソウルで子どもたちを待ち、「ママ―!」と駆け寄って抱きしめる……そんなシナリオを描いていたけれど。現実はそう甘くないらしい。そりゃそうだ。往復6時間かけて子どもを取り戻すなんて手間、誰がやるもんか。ここにいる母親がやるしかないのだ。
自分でマンションに戻ることが怖くて二の足を踏んでいた。
このまま、ここで女同士、どうでもよい日常を繰り返していたかった。それが許されないことは分かっていたけれど。
夫と再び会うことを想像すると、膝が、ほんとうに震えだした。
そしてまた、同じような朝を迎え、同じような一日を過ごしてしまうのだった。
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