どら猫マリーのDV回想録 その10
マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” PARTⅢ
そこにいたのは世話人と私だけだったけれど、大きな沈黙が訪れたことは言うまでもない。あっけにとられたのだ。真空状態に近かった。
「そ……そんな話は初めて聞いたけど…」
と、どうしようもない視線を世話人は私に送る。言うべき言葉がなかった。
「ア……アジア…じゃないかな。
たぶん。私の学校ではそう言ってたけ……ど???」
助けて!と世話人に視線を送るが、世話人さん、固まってしまっていてどうしようもない。世話人もどうにか頷く。
「そうなの? 日本もヨーロッパよね? そうじゃないの?」
ええええ!
ふーん、違うならいいけど、といったように、ネパール人女性はあくびをしながら自室に行ってしまった。よ、ヨーロッパだったっけ!?
私は合点がいった。
ヨーロッパは地域を指すのではないのだ。ヨーロッパとは豊かな国、という意味らしかった。市場経済を基盤としたあらゆる豊かさを享受しているか、していないか。していればヨーロッパ。していなければアジア。彼女なりの、世界観なのだ。ネパール人女性の感覚の方が正しいかもしれなかった。
バナナと蔑視されたバブル時代の日本人を思い出していた。みんな豊かになりたかったのだ。新しい人生を探したかったのだ。たぶん。幸せになりたかっただけなんだ。
私は自分の私は自分のなりゆきを引き受けることにした。
もしもこの世が100人の村だったらなんて、ありふれた表現を借りる。
私は、富裕層だ。
* * *
「ごめんね。何もできなくて。本当に精一杯だったの。」
「いえいえいえ、過ごしやすかったですよ。
子どもたちも楽しかったみたいだし」
すっかりなついた大型犬を思い出す。
私たちの気配で小屋から出てくるようにまでなっていた。
今頃またウッドデッキで寝ているんだろうか。
組織の中にいるとできないことがある。枠組みの中で、制限があるなかで接しなくてはならない。人情としては、してやりたかったことであふれていたのだろう。たぶん、だけれど。そんな会話をしながら道路を進んだのだった。
そして私は見渡したのだった。
所縁ある土地を。ここで一生過ごしたかもしれない土地を。
終わりが近づきながら、私はまた思い出していた。
「子どもたちに会えましたよ。」
沈黙という優しさを教えてくれた友人の夫に思いをはせる。
お客さんが来たのだから、と、張り切って働く友人の姑に思いをはせる。
そうそう、だから好きだったんだよね。
こういう面倒臭いけど、世話好きで人情味あふれる風土というのか。韓国らしさというのか。
そういったものを。