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香港、抗う人びとの歌 1ヘッダー画像

難以言喻的香港生活所思 ―香港の現在、言うに言われぬ思い-

番外編 香港、抗う人びとの歌

倉田明子

(つづき)

デモの街

香港は、デモの街でもある。
植民地だったこともあって、香港には制度的な民主主義はなかった。部分的ながら選挙が導入されたのは 1980年代で、返還後も立法会議員や行政長官を選ぶ選挙は完全な普通選挙ではなかった。他方、香港は歴史的に極めて自由な街だった。それは植民地政府が住民の生活に極力干渉してこなかったということでもあり、生きるも死ぬも自由、という、ある意味とても厳しい自由だ。

自ら選択して行動するのが当たり前で、なおかつ政治的民主はない街だから、人びとが政治的要求を持った時には街に出て訴えることになる。だから、香港では平和的なデモや集会が日常茶飯事だった。

毎年6月4日には、1989年に起こった天安門事件の追悼集会が行われてきた。また、返還後の大きなデモとしては、2003年に50万人デモもあった。その背景にあったのは、SARSに関する政府の対応の悪さに対する不満と、もうひとつ、国家安全条例*4 を香港で制定することへの反対だった。このデモのおかげで、条例の制定は阻止され、以来、7月1日の返還記念日にはデモをするのが恒例行事になった。

2012 年には、国民教育反対運動があった。これは、香港に中国大陸と同じ愛国教育、つまり中国共産党への忠誠を培う教育が導入されそうになったことに対して起こった反対運動だ。当時の高校生が先頭にたって運動を起こし、そのなかには世界的に有名になったジョシュア・ウォン、日本でも有名なアグネス・チョウらがいた。この運動も、愛国教育阻止という形で結実する。そのあとに起こったのが、2014年の雨傘運動だ。これは普通選挙の導入を求めたものだったが、こちらは失敗に終わった。

デモと歌

これらの市民運動の中で、歌は重要な役割を果たしてきた。
まず、6月4日の追悼集会で必ず歌われる「自由花」という歌を紹介したい。

台湾のテレビドラマの主題曲のカバー曲で、広東語の歌詞がつけられている。毎年、追悼集会の参加者全員がろうそくに火をともして合唱してきた。香港では誰もが知っている歌と言ってもいいだろう。

天安門広場で学生たちが民主化運動を始めた時、すでに香港返還が決まっていたこともあり、香港の人びとはこのできごとを我が事として受け止めた。北京の学生たちを熱心に支持する人びとも現れる。それだけに 6月4日の天安門事件のショックは大きかった。他方で、事件は香港での民主化運動を進化させることにもなり、北京の学生たちを支援していた人びとが、香港の民主化を求める政治団体を結成していった。追悼集会を主宰する団体もそのひとつだ。

天安門追悼集会を絶えることなく毎年行ってきたのは、世界で香港だけだ。追悼は香港人のアイデンティティの一部になっている、とすら言われる。

*4  香港の統治方針を定めた香港のミニ憲法「香港基本法」には、返還後、香港政府自らが、国家安全を脅かす行為を取り締まるための「国家安全条例」を制定することが決められている。2003 年にこの条例が制定される方向で準備が進められたが、同年 7 月 1 日の 50 万人デモにより制定は中止された。

 


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