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どら猫マリーのDV回想録 その1

ただいま人生再生中

相談員も警察もそんな私をふがいなく思ったようだ。そして下された判断は「まだ大丈夫そう」ということ。提案された解決方法には夫婦カウンセリングというのもあった。あの男がそもそも話し合いなんかに参加するはずもない。参加したとしても相手は暴力性に満ちた「もう一人の自分」を上手にかくす。暴力は全て、密室で行われる。

虚しさを抱えて帰路についた記憶は絶望で満ちている。

最善の道は何か。妻として、母として、家族として。あるいは、他人さまに恥ずかしくないように――長所のはずの真面目さのなれの果てがこれだ。今思えば、そんなどうでもよい「正しさ」で、私はがんじがらめだった。嫌なものは嫌でよかったのだ。私が怖いと思えば、怖いものなのだ。

私はどうして、この世にたった一人の私という存在をないがしろにしてしまったのだろう。私は、大事にされるべき人だ。

しかし、転機は突然訪れた。「お前に母親の資格はない」と追い出され、私は蟻地獄の外に出ることができたのだ。追い出されて、「子育てやってくれるの?ラッキー!」と独身に戻るもアリ、だっただろうけど、私はそれを選択しなかった。
ネズミの攻撃に目を回していた猫が虎になる瞬間だった。

いったん日本に帰国し、国際弁護士や外務省、相手の国の領事館に電話をかけまくり、子どもを引き取る手はずを整えた。一時期はその国のシェルターにひとりで滞在しつつ、チャンスを狙った。そこで知り合った、女性人権センターの所長はバツグンにかっこよくて、あこがれてしまった。「自分の人生なのに他人任せね」といたずらっぽい目を向けられると、私は苦笑いするしかなかった。「子どもは自分で連れてくるしかないわね」。

決心がつくまで5日くらいかかった。怖い。でもしかたない。いざとなれば通報すればいい。今まで避けてきた恐怖に向き合うときが来た。

おそるおそる自宅に戻ると夫は笑顔で迎えてくれた。「反省したんだね。家に置いてあげてもいいよ」相変わらず雑多なものがちらかった部屋。壁には落書き。夫は私が不在の一か月、どれだけ子育てを頑張ったのかを吹聴した。長男はさっそく私をお風呂にさそい、長女は幼なすぎて私を認識するのに時間がかかった。

そのうち、「妻が帰ってきた祝杯をあげに出かけてくるよ」と夫はまさかの外出。チャンスはやってきた。その間に脱出の荷造りをし、私は子どもを抱えて逃げた。持ち出したかったものはほとんど持ち出せず、最低限のものだけ。それは今じゃないとわかっていても、まだ開けていない化粧水の瓶や洗剤が気になってしまう自分がいた。
大学院時代に集めた本たちも到底、無理だ。

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