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どら猫マリーのDV回想録 その12-2

ベビーシッターさんのこと Ⅱ

「もういいかなっていうのは……」と、問いかけると、

「夫婦仲良く、とか。なんていうの?  とりあえず、もう教会は通ってないの。子どもたちも、長女はもうナムジャチング(彼氏)ハンテ(~のところに)に行ったまんまだし。でもそれでいいと思っていて。元気みたいだし。」

もう少し、詳しく聞きたくなるような話に入ると、

「ねえねえ、私の話してても仕方ないからさ、マッサージでもしようよ。
アロマ、イッソヨ(あるよ)。カジョワッソヨ(持って来たのよ)。やる?」

という流れになる。そうだ、そういえば私は産後の療養中なのだった。それにしてもエリーもポーも手がかからない。ニーズがしっかりしていて、丈夫な子たちだった。夜泣きもない。12:30から朝の5時くらいまでしっかり寝る子だった。だから私は元気だった。

「本、いっぱいあるね。これ、題名、イサンヘ(変なの)」
とクスクス笑い、その人は本棚をよく眺めていた。その中から気になるものを選んで持ち帰り、「おもしろかった」と次の日に返すということが数回あった。コミックエッセイ等であり、日本語で読めるのがうれしいらしかった。子育てや自己啓発のようなものが多く、その人の中で、物の見方や捉え方が変わり、気持ちが楽になることが多かったようだった。

「なんだっけ、魔法の言葉? そういうの、子どもたちに言ってあげたことないかも。」
と苦笑いしていた。

子育ての本は理想に過ぎない。
毎日、毎日、あの本に書かれているように出来たらどんなにいいだろう。

ただ、救われるのは、そういった類の書籍には、とにかく母親が幸せでいることがいちばん、と結ばれている内容が多いことだ。自己犠牲ではない、母親が自分の人生をきちんと生きること、本音で生きること等の内容だ。本の中では誰も私を責めない。

もちろん、「えー、ていうか、なんでメッセージの対象がお母さんなの?  “主たる保育者”とかじゃダメなわけ?」「ママ、頑張らないでとか言っておいて、充電したスキをついてこき使うのか? やりがいの搾取?」といった揚げ足取りに近い違和感がむくむくと起き上がることがないではなかったが、とりあえずその思考は脇に置いておいた。
自分の人生のかじ取りを自分で行えるようになるまでは。人生を旅に例えるならば……当時の私はいわば、船酔い中、だった気がする。もしかしたら、今も、なお。

「Youtube? 教えてくれたじゃない? パッソヨ(見たの)。誰だっけ? 本にあった人。探してみたらさ、なんか、対談? 朗読だったかな、あって、マニマニトゥロッソ(すごくたくさん聴いた)。なんか、ソルコジ(洗い物)とかしててもさ、聞き流せるじゃん? 流しっぱなし。」

異国の地の片隅で、彼女を支えているのはインターネット、スマホという文明だった。今でこそ普及しているけれど、彼女のこれまでの人生の中で、それらがあったら良かったのに、と思う瞬間は少なくなかっただろう。
初めて我が家に訪ねてきてくれた頃と比べ、その人は声も顔も明るくなった。

 

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