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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅

ここまでの歩み 編  – その3 –

難病のミトコンドリア病をもつ僕の娘、響の高校の入学式の光景から始めたこの連載。が、なぜ響がこのように生きているのかを知っていただくには、彼女が人々の間でこれまでどのように生きてきたのか、お伝えしなければならないとわかった。響が生まれてから、4歳近くでようやく立って歩き出すまでのことは、『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』(2006年、集英社新書)にある。これは、2005年7月4日から9月30日までの「東京新聞」「中日新聞」夕刊連載「歩くように 話すように 響くように」がもとになっている。実は翌年にも「続・歩くように 話すように 響くように」というタイトルで、連載をさせていただいている(2006年3月20日~6月10 日)。

「ここまでの歩み編」では、その連載全64回を再録する。今回はその第8回~10回。



MCTミルクをめぐる冒険 2

主治医の中野和俊先生は、特殊ミルクを飲まないのに響が元気だ、と話すと、「PDH C(ピルビン酸脱水素酵素)活性が良くなっているのかなあ?」とおっしゃる。

前に書いたように、ミトコンドリア病の患者は、人により、またその人の生涯の中で、症状の幅が非常に大きい。いま、健常児に追いつけるのではないか? と夢想させるほど盛んに発達している響にも、だとすると、症状が悪化していく局面というのがあるのかも知れない。あるだろう。でも、そんなことを考えても不安なだけだから、考えない。

ミトコンドリア病では、糖分を分解するTCAサイクルという化学過程がうまく廻らないのだが、その他に細胞のエネルギー源として、MCT(中鎖脂肪酸)を分解する脂質代謝系(主に持久的なエネルギーの使い方に働く)がある。MCTを多く摂らせてそっちを廻すことで補おうというのが、響が生きていくための基本的な戦略だ。

戦略のための具体的な戦術が、「MCTをどうやって口に入れるか」。
これは両親の日々の課題となる。

「エーグルドゥース」にお願いしたケーキが、試作の果てにできてきた。マクトンパウダー(MCTの粉)を練り込んで焼いたガトー・ショコラに、MCTミルクを混ぜた生クリームを飾った、可愛いケーキ! 結果は、バクバク食べた!
しばらくはこれで行けそうだぞ!

ガトーショコラと響
特製ガトー・ショコラ。「食うぞー!」

それ以来週に一度くらい12センチのガトー・ショコラを焼いてもらい、一日に四分の一個くらいずつ食べさせるようになった。僕らは響の生存に関わることでは妥協しない人たちにすっかりなっていたから、パティシエの本間さんに、MCTの含有量を次第に増やす実験を繰り返してもらっていた。

2~3ヶ月経ったある日、響はガトー・ショコラをぱったりと食べなくなってしまった。MCTを入れすぎて味が変になったか? やりすぎということもあるのだ。

その頃見た夢。僕らは追われる難民で、河を渡らなければならない。見ると、響も茶色の濁流の中を、泳いでいる。懸命に。

……目が覚めると、夢の縁の遠い山脈に白く、湖が光っている。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第8回より再録


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