春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート
ここまでの歩み 編 – その4 –
難病のミトコンドリア病をもつ僕の娘、響の高校の入学式の光景から始めた連載「春 待つ こころ」。その思春期のノートを記していく前に、彼女が人々の間で、これまでどのように生きてきたのか、知っていただきたい。生まれてから4歳近くでようやく立って歩き出すまでのことは『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』(2006年、集英社新書)にある。これは、2005年7月4日から9月30日までの「東京新聞」「中日新聞」夕刊連載「歩くように 話すように 響くように」がもとになっている。
その翌年の同紙連載「続・歩くように 話すように 響くように」(2006年3月20日~6月10 日)全64回をここに再録していく。「ここまでの歩み編」その4は、新聞連載第11~13回。
「ここまでの歩み編」では、その連載全64回を再録する。今回はその第8回~10回。
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プール、乗馬、ブランコ、髪を切る
ちょっと戻るが、2005年の4月にはまたPT(理学療法)の一環としてプールの順番がやってきて、響は安全に水質管理された療育センターのプールで、常ならぬ体験を楽しむことができた。
前年は、こんなふにゃふにゃな響を水に入れて大丈夫か?」とおそるおそるだったのだが、水着を着せて抱いた響の体軀はいくらかしっかりしてきていて、今度は安心感があった。
響を抱いて、水の中をあるく。
子どもたちと親たち、理学療法士の声が天井に反響して、守られた安全な世界。それは、大勢の人の努力によって、つくられたのだ。
でも、響のプールは今年でお終い。「えー、ずっとやってほしいのに」と思うが、次の子たちが待っているのだから仕方がない。これからは、プール風邪を恐れながら、少しでも環境のいい一般のプールを探しすしかない。
4月末には今年も、近所の学習院大学馬術部の人たちが主催してくれる、障碍児のための「馬と触れ合う会」。動物に触れる機会も響にはほとんどないから、これも嬉しい。ボランティアの青年たちに支えられて響は馬場を一周、二周。それから小屋の馬たちに人参をあげて、満足の一日。
普段、近所の公園に響を連れて行ってよく落下防止ガードの付いたブランコに乗せるのだが、このころには、もっと大きな子の乗る普通のブランコを見て興味が湧いたらしく、 乗りたがって困った。鎖に掴まって、自分が落ちないように守る術さえまだ知らない響なのに。
ブランコが終わると、公園の砂地をとにかく歩き回りたがる。このころは数歩行っては、転ぶ、あるいはジャングルジムか何かに激突する状態だったから、歩く響の周りに腕でC型の輪を作って、中腰のまま響の行く方向を追っていた。腰を直接摑んだりすると、嫌がる。この浮いたC型は、独立したい響と、守らねばならない親との関係の、象徴のようだった。
暖かくなってきたので、理髪店に行く。そんなことでも、「この子はあと何回行けるのかな」と考えてしまう。そんなこと普通は考えない。
髪を短くした響は首がすっくと立って、また命が新しくなったように見える。
「続・歩くように 話すように 響くように」連載第11回より再録
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