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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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響の幼稚園を求めて 2

こんどは目白幼稚園(家から10分)を訪ねてみた。

行ってみると、創立九十周年になる園で、園舎は古びてはいるが天井は高く立派。園庭も土に砂利敷きで、転んでもさほど問題なさそう。何よりも空間的余裕が、感染症の発生率を低めるのではないか、と好もしく思われた。

園長の小島あや子先生は年配の方だったが、その日はさらにご高齢の理事長(女性)も出てきて下さって、親切に相談に乗って下さった。「そういうお子さんを幼稚園が受け入れて行くことは当然」という考えを述べられ、それに対する行政の補助はどうなっているのか、調べてみましょう、とおっしゃって頂いた。

園の男の子たちが何人か、響に寄ってくる。
「なんていう名前?」
だが自分の名前をまだ言えない響は、答えることができない。

そんなことはあっても、僕らはもうすっかり安心してしまって、目白幼稚園に預けよう、と決めていた。近いし、雰囲気は上品だし、かと言ってお受験幼稚園でもない。何か胸のつかえがひとつ取れて、息が深くなったような気がした。

翌朝、響は起きてくると「おはよ!」と言い、いつもバナナを掛けてあるフックに何もないのを見ると「バナナいないね」と言う。

連れ合いと相談し、何日か経って再び目白幼稚園を訪ね、「先日はありがとうございました。入園することにしたいのですが、手続きは……」と言うと、理事長と園長の顔がさっと曇った。

「補助員をつけることができないんです。でもほら、そういうお子さんは、ぶつかったり転んだり、危ないでしょう?  普通の子は何でもなく避けられるんですけどね。ですから、毎日お母さんが来て下さって、付いていて下されば受け入れられるんですが」

予算の限られた中で、考えて頂いた結果なのだろうけれど、それじゃ意味がないんです!

響のような、一日中行く先を見張って付いていてあげなければならない子を育てる親の負担を、想像してみてほしい。響も、親がそばにいると甘えてしまって、他の子と遊ぼうとしないわけだし。

歩く元気もなくなってしまって、途中の喫茶店に寄った。
陽子は言った。
「なんだかかなしいね」

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第15回より再録


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