出版舎ジグ
jig-web 連載

障碍の児の思春期、ノートヘッダー画像

春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


26
根本的治療は?

今年(2006年)3月はじめの朝日新聞で、患者にもよく知られた存在の太田成男先生が、ミトコンドリア病の治療薬開発を最終目標とするベンチャー企業を立ち上げたと報じられた。

「見た?」と教えてくれたり記事をFAXで送ってくれる友人が多くいて、「気にかけてくれてるんだなあ」と有り難かった。

そのニュースに対する僕の受け止め方は、社会的には「素晴らしいことをしてくれる人がいる」「こうしてミトコンドリア病もだんだん認知されてきた」だったが、個人的にはそれ以上のものがあった。

これは信州で村医者をしている色平哲朗医師に聞いたことだが、「先端的医療や新薬には、事前期待値が高まりすぎてしまう」という。

苦しんでいる病者や家族は「画期的治療」「これで完治する」という夢を抱きがちだ。でも新技術は、弊害を克服して定着するまでには時間がかかるのが実情。もっとも、エイズは先進国では治りうる病気になった、というような進歩は、確かにあるが。

ミトコンドリア病の治療薬とは、根治ではなくて、症状を改善する薬になるのだろう。
というのは、卵細胞ひとつならともかく全身の体細胞の遺伝子を組み換えるというのはとても無理そうだし、世界的にも頓挫している状況にあるから。

しかし一方、東京女子医大遺伝子治療センター所長の齋藤加代子先生は、こういうことをおっしゃっていた。

「ソフトな遺伝子治療、というものに可能性があると思う」。

これは、遺伝子そのものをいじろうとするものではなくて、遺伝子変異のために働かない、欠けている機能を生化学的に補う薬を見つけよう、というもの。実際いろいろなケースで、症状を改善するものが見つかっているという。

これなら響の世代にも間に合うかも知れないし、太田先生らの研究からそれが出てくるかも知れない。

けれど、患者の会のメーリングリストでも、喜びつつも冷静な反応が多かった。病者として、その親としてのキャリアが長いと、すでにいろいろ勉強しているから、「画期的」な展開はそう簡単ではないと、知っているのだ。

だからこそ研究医たちには、じりじりとでも進んでほしい。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載26回より再録


次ページにつづく

【春 待つ こころ】連載記事一覧はこちら »

↑

新刊のお知らせ