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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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陽子の思ったこと

連れ合いの陽子が19歳の時、彼女の父は転落事故で頸椎を損傷し、「首から下は一生動きません」と言われた。その状態は3年入院しても変わらなかったが、彼女の母(いまは故人)は、「自分が絶対治す!」と言い、どこかから自動車のハンドルをもらってきて、夫の動かない手に握らせた。運転の好きな夫を「また家族でドライブしようね」と励ますため。というか、何が何でも活を入れるため。

医師の予想もしなかった回復は起こり、陽子の父は、重い四肢障碍が残りながらもいまでは車を運転している。

「ママは、とにかくお医者さんの言う『現実』を受け入れるのが嫌だったのね。『元の生活に戻るんだ、どうしてでも』と思ってたんだと思う。それが、ある意味で勁さになったのね」

──当事者の強い思いが、治癒につながるという話はよく聞くけど、願っても必ずそうなるというわけではもちろんないよね。君は、「ママの強さが今の自分にあれば」と言ったことがあるけど、響が良くなる可能性があると思うの?

「誰もが、医師もが『駄目だ』と言うなかで、パパがまた動けるようになる可能性を信じたのはママだけだったでしょ? 響についても、響の生きる可能性を親の私たちが信じてあげなくてどうするんだ、ということはある。だからあなたが、響ちゃんは長くないんだ、みたいな感傷的なことを書いてるのをみると、腹が立つこともある。
でもまあ確かに、気持ちが弱まった時は、『この子はいつまで生きられるのか』というのは思うけど。私の場合、『5歳』というのがひとつの線として、あるんだけど」

──どうして?

「リー脳症で5歳で元気な子はいない、と聞いたことがあるから」

──僕の場合はそれが、1歳台だったんだよね。というのは、「もーちんのほっぺ」というホームページで知った「もーちん」という女の子は1歳8ヶ月で亡くなっているから。それが将来予想の基準になっていた。

「いま独り暮らしの私のパパは、辛いことがありすぎたせいか、最悪の事態を予め想って自己防衛している。例えば、もう私や響が実は死んでいて、いまこうして話をしているのは夢なのだ、楽しい夢を見せてくれて有り難う、とか」

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第42回より再録


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