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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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思い出を胸に(続き)

最初の発熱を乗り越え、退院しても、坊やは月に7、8回もアシドーシスを起こした。
それが起こる直前、母親にはわかるのだと言う。いつもと様子が、何か違うのだ。
投薬しても意識が戻らない晩は、やはり最悪を考える。そうやって何度も、危篤を繰り返した。
それでも坊やは、そのたびに急速に恢復し、また劇的な発達を見せる。
「普通の赤ちゃんみたいに」親子はゴロゴロと遊び寝をし、坊やもいい顔で笑った。Oさんがよその誰かと話していると、ヤキモチを焼いてOさんの口を塞いだりもした。

ある朝、ちょっと食欲がないな、と思っていた。そのうち声も出さずに坊やはぽろぽろと涙を零した。怖れていた、二度目の発熱。
入院するが心拍数も血圧も急速に低下し、何をしても間に合わない。ところが、泣きながら名前を呼ぶと何度でも数字が戻ってくる。最後はもう、呼んじゃいけないような気がしてきた。そして今度はあっけなく、坊やはOさんの胸の中で亡くなった。

全身全霊をこめた短く濃密な育児。
Oさんは急に孤独になってしまった。

「でも子どもはもう、あの子だけでいいかな。あれ以上、愛せないから」
「私が、あの子の母親をさせてもらって、よかった」

けれども深い傷は表層からは見えないだけ。
ファミリーレストランなどにいて、不意に子ども連れが隣のテーブルに来たりするとパニックになってしまうという。
そんな時彼女は、耳を、目を、閉じるようにする。

わが家に来て下さって、彼女は響の頭を撫でてくれた。
その夜、メールをくださった。

「響ちゃんと握手したときに 柔らかくて 優しくて 息子に会えた気がしました」

子どもが死ぬということ、それは人の生涯に出会いうる苦難の中で、控えめに言っても超弩級の辛苦だと思う。例えその生は短くとも、子どもはそれをよく見つめる者には無数の描ききれない思い出を残す。一瞬一瞬の生の息吹が、表情が姿が、千にも万にも照り返して煌めくのだ。人にはなぜそこまで、思う力が与えられたのか。

それは、そもそもなぜ、死すべき者に命があるのかと同じく、いかに問うても問処に還るほかない、謎だ。

 

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第46回より再録


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