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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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この信念はどこから?

幼稚園へのお迎えに早めに着いたある日、教職員室の入り口近くで何かの修理の作業をしていた中島良造園長と立ち話になった。どういう流れでだったか、彼は小学校5年生の時の半分は悲しい、しかし忘れるわけにはいかない学級会の思い出を語ってくれた。学級会の議題は「中島の班替えについて」。

昭和30年代までの日本では、とくに貧しい家というのがどこにもあって、冬でも夏でも毎日同じセーターを着ているような子がいた。
そんな子のひとりだった中島少年は、班の組み替えの際に「臭い」という理由でどの班からも排除されようとしたのだ。
そのとき、一人の少年が立ち上がって「じゃあ中島を俺の4班に入れる」と言った。

この話を聞いて僕はもちろん、この出来事は「響を受け入れる」と即答した彼の現在につながっているな、と思った。

「響(園長はそう呼んでくれる)を見ていると、無視できないものが彼女にはある。100パーセントとは決して言いません。いま、保護者を含めて99パーセントの人たちが響を認めてくれているのが力行幼稚園の財産です」

 

実は経営体としての幼稚園には、障碍児の受け入れについてそれほど理解がない筋もみえる。響を入園させる件でも園長は苦境に立ったと、教諭たちや保護者の何人かから洩れ聞いた。

そういう考えの理事会とぶつかる事態になったら、保護者としても申し入れなりする、
とつい力み返った僕に園長は、

「いや、堀切さんじゃなくて私が。私の責任で入れたんだから」

「響の喜んでいるパワーが、みんなを変えているんですよ。子どもにはまだまだ変わり、どんどん伸びていく柔軟性がある。世界が楽しいところだ、と響にもみんなにも思ってほしい」

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第58回より再録


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