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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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生を全うする義務

時に、はしゃぎすぎて手がつけられないこともある。聞き分けがなく困るし疲れる。けれど彼女のあかるい春の空みたいな愛嬌に励まされて、僕ら夫婦は響を育てていこうという気力をまた得る。いまは。
それは幸福なことだ。

その人なりの存在の「よさ」を、近しい人はしばしば、ときに長い時間をかけて見つけだすようだ。だがそれは、つねに見つけだしうるものなのだろうか。

響の病名がわかって衝撃にただよろよろしていたころ、ある人が最首悟の『星子が居る』という本を手渡してくれた。
受けとめきれない事実は否認しようとしたのだろう、感謝ではなく、星子さんと響はちがう、と、奇妙にねじくれた感情が喉元を塞ぎにきた。
だがいまその本を取り出してみると、目印の意味を成さないほどにたくさんの付箋が貼ってある。

最首悟氏はもとは理科系の学者だが、水俣病などの公害問題にも関わり、その人間観、自然観から大学での学問の主流のありようを批判してきた人。
第4子の星子さんは症状の重いダウン症で、10歳の時には失明もした。言葉はなく、ただ音楽に聴き入る。かけてあげる音楽が好みと違うと、激しい拒否反応・自傷行為が起こって血飛沫が飛ぶ有様となる。
しかし彼女が黙して居る「場」に立ち会い続けて、最首氏は結局そこで安らぐことになる。

「星子は閃きのようにやってきた。待ったなしという思い。それは、いまだせる言葉では、真正の壁がどーぉんと降りてきたという感じである」(『星子が居る』世織書房、370頁)

能力次第ということになっている社会からすれば、星子さんの「査定額」はゼロ。しかし、

「私たちにもともとあるのは、天から降ってきた権利とかじゃなくて、すくなくとも生まれてきたからには生を全うするという、ほとんどそれだけのことです。そしてそれはほとんど義務ではないでしょうか」(同 430頁)

「例えば星子のような者がいて、当然ながら生についての義務主体で、しかし力を添えなくては生を全うするのに困難なことがあると親(他人)のこの私が思ったとたんに、そこに星子は権利主体として誕生するのだろうと思います。権利の行使というのは、誰かに権利があるとおもったこの私が行使するような概念なんです」(同 430頁)

響のためには、というか響を代理して、僕がこの社会の構成と向き合うときの気持ち。あるいは気負い。そこには最首氏のこの考えと共通の形が含まれていると思えてくる。時代と語調はやや異なっても。そして彼は言う。

「親は子にふさわしく教育されていなければならない」(24頁)

また、福祉という言葉について。

「福祉とは、人がそれぞれよく生きることを意味します。そのためには、人とはどういう存在であるか、そして人間関係はどのようであったらいいのかを考える必要が出てきます。さらにその考えに立って、みんながとりきめる約束や法律、それに基づく制度や措置をどのようにしたらいいのかという問題が続きます」(411頁)

逆ではないのだ。制度の外形的なありようは重要ではあるが本質ではない。その前提としての人々の感覚に、考えや思いに、知恵に「弱者」も共に在る社会があり得るかどうかが賭けられている。

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第59回より再録


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