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どら猫マリーのDV回想録 その3

プレイバック・パンデミック・パニック

この人といれば、なんだか人生の危機を回避できそうだ。そんな気持ちが芽生えてしまって結婚。あれよあれよという間に子どもができて、産まれて……だっけ?いや、違うなあ。結婚式の日取りも決まって、いよいよ新居のマンションができるよ、なんてそんなとき、マンション建設の土地から古代遺跡が発見されてしまったのだった。うそのような、本当の話である。仕方がないから、義両親とのしばしの同居生活が始まった。

その最中に、姑のアルコール中毒が判明した。
詳細は割愛する。割愛したい。
たぶん、私がのぞいた初めての狂気の世界とだけ記したい。

その最中に妊娠して、子どもが生まれたのだが、姑に回復の兆しなんてなかった。というか、ここにも「語り」の陥穽がある。よく言われるセリフ、「子どもが結婚すれば安心するから変わるよ」「お嫁さんが家にくれば環境が変わるから変わるよ」「孫が産まれれば変わるよ」の類である。
それ、嘘です。嘘というか、ある一定のレベルでのみ有効なことだと思う。

そしてある日、ついにとんでもない状況になって、私は生後1か月の息子を抱いて庭から逃げ出し、近所のビニールハウスに隠れたのだった――。息子の予防接種は近くの安宿から保健所に向かった記憶がある。たしか1週間ごとに接種を受けるような月齢だったけど、近くて便利だなって思った記憶がある。

さすがにもう立ち行かなくなって、子どもと2人で日本に帰国した。

私たち夫婦は1年半離れ離れということになって、本当はそこで気が付けば良かったんだけど、むしろ絆が強くなってしまった感があった。私は子どもの動画をラインでばんばん送って、朝に夕にとスマホで「顔を見て」電話をし合った。そんなもんだから、子連れで韓国へ再び行くことになりもする。あのマンションとは別のマンションを借りたから、もう大丈夫、という理由だった。それが2014年。

2人目が産まれて落ち着き始めた2015年の6月、発症したのがMARSだ。

2009年と2015年のどちらが深刻だったかは分からない。でも経済への打撃は夫の正気を奪っていったし、得も言われぬ不安は姑のアルコール依存症も悪化させた(たぶん、ね)。
私は2人を抱えて立っているのが精いっぱいだった。そして、上の子が自閉症の症状があるって言われて……。

……。

時は流れ、そして2020年、ようやっと決まった正社員採用。そのための履歴書を書きながら今、いろいろ記憶がよみがえる。
履歴に並んでいる所属の名称だけ見ると華やかです。そして職歴は短いです。「現職」までの空欄が長い。でもきっと誰にも分からない。この履歴書の行間に何があったか、なんて。

まあ、世の中の大半の方々がそうなのだろうけれどさ。それにちょっと自分の人生を美化してる感もある。元夫が正気を失っていったのは、たぶん別居中から始まっていた。もしかしたら私に出会うずっと前から。底なしに優しくて、気遣いのプロで、義理堅い性格は、小さいころからアルコールに狂う母を労わり、かばってきたことの証だったのだと思う。良い姿だけをラインに映して、あとは心に闇を抱えて、誰にも言えない孤独に耐えていたのかもしれない。私たちが去って、元夫はふたたび姑のターゲットに戻った。

この話を聞いた人はきっと思う。元夫が実家から離れたところで就職して家族を養えばよかったじゃないか、と。正論。本当にその通り。でも……結婚を前後して、義父は交通事故に遭って片膝が曲がらなくなってしまったわけ。そんなこと?と思うかもしれないけれど、元夫くんは、それもほっておけなかったわけです。親孝行で知られるかの国の人間としては、ね。そして、私自身にも、義父母と一緒に住むつもりはなかったわけで。

遺跡さえ出なければもしかしたら普通の暮らしがあったかもしれない。

じゃあ、姑が悪人か、だらしない人間かというと、そうでもない。田舎出身で8人兄弟の長女だった姑は1956年生まれ。学校も早々に家の手伝い。10代も前半でソウルに出稼ぎにいって、まさに高度経済成長の真っただ中の大都市で美容師をした。肉体疲労で寝込んでもお店に立ち続けて、チップでパンパンになったポケットを大事に抱えて宿所に帰宅。アイスクリームなんていう食べ物を初めて食べて、それだけが週末の楽しみだった、という。
そして、それ以外はごっそり実家に仕送り。弟、妹たちの笑顔、「おまえは役に立つねえ」という両親の感謝(というよりまなざし、あるいは本人の自己満足的な勘違い?)が彼女の元気の源だった。そして一時帰省していた19歳のある日、恋におちてそのまま妊娠。そのお腹にいたのが元夫くんなのである。

姑はハングルも、決まり通りには書けない。自分の弟や妹の年齢もよく混乱していた。兄弟8人のうち2人は若くして亡くなったから、誰が何番目かわからなくなるらしかった。でも、姑が大人になってから生まれた弟妹の誕生の瞬間はよく覚えている、といっていた。姑の弟妹はほぼ2年ごとに生まれている。当時は家で夫が赤子を取り上げていたそうで、出産は日常のことだったようだ。

その話を聞いている横で舅がさらなる一言をはなった。昔はバスに乗っているとよく女性が子どもを産んでいた、と。後ろの席でうーんって音がするとそのまま出産していたらしい。
姑の弟妹の末っ子は、元夫くんと同い齢だ。二人はそろって学校に通い、姑は長男(元夫)を、舅は妻の末の妹(元夫の叔母)を、背負って歩いたそうな。そそそそれって1970年代の話なの!?とびっくりするけれど、漢江の奇跡をなしとげつつあった韓国の、リアル。


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