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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その3 堀切和雅

子どもが生まれてきてくれて、育ってきてくれると、たいていの場合はやがて就学ということを考えることになる。実際には生まれきてくれる前からいろいろに想像して、見込みをたてて、時には夢の中の城の築造計画みたいに果てもなく遠く霞むものまで、抱いたりする。親というものは。

響は渋谷区代官山の産院で、水中出産で生まれた。
それは大いに計画されたもので、連れ合いの陽子が当時調べ研究したところでは「いちばん痛くない」との説があったから。代官山のその産院にしたのは、結婚しようか、という頃から僕らが坂を下ってすぐの中目黒に住んでいて、代官山と並木橋の間の通り沿いに連れ合いの勤め先があり、妊婦健診にも通いやすくてしかも、生まれたら3人で憩める和室と、水中出産の設備と両方があるから。

初めての経験だから、なにごとにも調査と段取りを怠らない習慣がある陽子はとくに、ネット検索であるいは友人たちの口コミで、多くの情報を集めたものだ。

実際に響が生まれたのは予定日少し前。
健診に行ったその日に「今日かも」と告げられ、それでも「ま、まだだいじょうぶでしょう」と彼女を産院に残して区民プールに泳ぎに行ってしまっていた僕がそこそこ泳いでロッカールームに戻ったとき、携帯電話に連れ合いの声が届く。
「生まれそうだよ」。

躰を拭くのもそこそこに、慌ててズボンを穿いて八幡通りに飛びだす。

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