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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その3 堀切和雅

それは雷に撃たれたのに似ていた。
数日前。仕事は夏休みで、響と面会できるのは1日30分で、かといって何かほかのことをできるでもない、曜日も昼夜も薄く引き延ばされた日々。
テレビが点いていた。
BRAKING NEWS:ワールドトレードセンターに航空機が衝突したという。
貫かれたような跡から黒煙が濛々と。

その年の5月、陽子のお腹はかなり大きくなっていたが無理してブロードウェーにミュージカルをいくつか見に行き(赤ちゃんが生まれたらしばらく観に行けないし)、トライベッカからバッテリーパークにかけて散歩したりもしていた(赤ちゃんが生まれるから運動を欠かさずに)から、ビルの姿には見覚えがあった。
けれどなんとあの5月の日々は遠いのだろう。

そして世界では、どんな悲惨な事故も起こるのだ、起こりうるのだ、人間の都合になどまったく関係なく──小さな子どもだったころから抱いていた暗い信念のようなものをぼんやりと、しかし強く、僕は思い返していた。

飛行機が画面の右から現れてビルに突っ込む。さっきのビルではない。南棟だ。燃えている北棟は変わらずその左側にある。時間が巻き戻されている? そして二重写しにずれながら繰り返されている? 世界がきゅうに歪んで現実感が希薄になって、俺はとうとう気がくるったのか?とほんとうに思った。

21世紀になったばかりだというのに、とんでもないことが立て続けに起こっている。
1995年頃からじゃないか? 変わり始めたのは。

その頃、陽子さんと中目黒で一緒に暮らし始めた。すぐそばを通る日比谷線でもサリンが撒かれた。2000年の3月には中目黒駅構内で列車脱線の大事故が起こった。多くの死傷者。多くの人たちの日常の暗転。その月、僕は長く勤めた出版社を退職し、翌月、大学で演劇を教える教員になった。子どもが生まれることになった。気に入って住んでいた目黒川沿いの春の桜、夏の葉桜の眺めのよいアパートから、目白通り沿いの集合住宅に35年ローンを組んで引っ越した。響が生まれ、胸を震わす喜びも束の間 ……おどろくべきことに、110階建てのビルが崩壊していく ……

子の生命の危機を案じる苦痛のせいだろうか。
思考が妄想的になっている。いけない。
響に生きてほしいと思うのだから、僕がまず確り立っていないと、いけない。

 

ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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