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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その3 堀切和雅

産院からの初めてのお出かけは、哺育器に入れられて、救急車に積まれて。
広尾の日赤医療センターのNICU(新生児集中治療室)には、いろんな赤ちゃんがいた。というより、いるようだった。いくつかの哺育器には超未熟児なのかとても小さい赤ちゃんが、紅らんで透けて見える。大きな児もいたが、姿勢がどうなっているのかわからず、あまり直視できない。

初乳が大切だというのも陽子はしっかり調べていたから、毎日、搾って届けることにもなった。東急ハンズに行って小さなサイズのクーラーボックスを買う。他の目的のために作られたものではあるが、ちょうどいいものがいろいろあった。他の目的って何だっけ? 釣りとかキャンプとか? 世の中が急速に遠離っていった気分がある。

当時勤めていた大学はまだ夏休みだったので、僕も毎日NICUに通った。哺育器のプラスチック越しに心拍モニターとかいろんなものが繋がれた響をしばらく見つめ、静かに声をかけ、冷凍した母乳を看護師さんに託す。面会時間は1日1回午後1時から、30分間だった。

抗痙攣薬など多くを試し、やや落ち着くまでに2週間。連れ合いの母乳も出にくくなっている。その間、家族が増えるだろうからやや広く、と越していた豊島区雑司が谷の集合住宅に帰って、僕ら夫婦は何を話し合っていたのだろうか。憶いだせない。

退院の日。ガラス越しでもなくプラスチック越しでもなく手渡された響を抱きとる。
連れ合いがまず。そして僕も。重くはないが軽くもない、生きものの独特な手応え。乳児用の哺乳瓶から、響はミルクを少し飲んでくれる。

ああ、吸っている。
身中に熱い血が、ふたたび巡り始めるのがわかる。
僕だけではない、3人の身中になにかがめぐる。温かく。
2001年9月16日。
そう書いて思いだした。

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