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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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歯を折った話

幼稚園探しをしていたのと同じ頃、東京女子医大病院への定期的な通院の時のこと。
響は病院に行くとその吹き抜けのホールの広さが嬉しいのか、さかんに歩き回りたがる。
でもそのころは前に行きたい、という勢いと従いてくるべき歩みのバランスがひどく悪く、前のめりに転ぶことが多かった。しかも、転んでも防御の手がパッと出ない。

心配で、はらはらしながら従いて歩く。
彼女がバランスを失いそうになったら即ダッシュ!──支える。

響は建物の外に出て、病院の敷地内を歩き始めた。誰も通らないような暗い冷暖房機器のスペース。白衣の人たちが煙草を吸っている裏口。地下の駐車場近く、車の出入りする地帯に響が足を踏み入れると、僕の緊張は極限に。泣き叫ぶのも構わず腋を抱えて、建物内に連れ戻す。

結局その日、響は病院の広い敷地をほぼ一周してしまった。
これは、不安定ながらそれだけ歩ける、ということだが、一方でミトコンドリア病の子は疲労させ過ぎるのもまずいので、悩ましい。

建物内に戻っても響はリノリウム張りの廊下を歩き回り、僕もいい加減疲れたと気を抜いたその瞬間「パシャッ」と前に転んだ。助け起こす僕の目に、最初に白いリノリウムの上の血溜まりが見えた。泣きだした響の、口内も真っ赤。

病院内だからすぐ歯科に回してもらえたが、前歯が一本、ぐらぐらになっていた。幸い大したことなかったけれど、上手く動けないために、こういう痛い思いをこれからもたくさんするんだろうなあ、と嘆息。

冬になる前に、ということで東京ディズニーリゾートにもこのころ連れて行ったが、「いっぱい体験をさせたい」と頑張る陽子に対して、僕の方は風邪が心配、人混みが辛そう、疲れすぎはよくない、という頭ばっかりになって、楽しむどころか早く帰ろうよ、という気分。

どこに行っても、「たくさん遊ばせたい」と「大丈夫かな」の鬩ぎ合いに、心が疲れる。

そんな心配をせずに遊び回って、ベビーカーの上で捩れた姿勢(それも平気なのが丈夫な証拠)で眠っている普通の児を、「いいなあ」という目で眺めてしまう。
でもそれは間違っている。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第23回より再録


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