春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート
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園服をうけとりに
昨日「間違っている」と書いたのは、こういうこと。
響はだいぶ喋るようになっていたが、まだ普通の4歳児レベルではない。喋り始めたはじめは僕らもひどく喜んだが、このごろは「もっと」と望みが高くなってしまっている。
しかし、「普通の子のように」喋れたらなあ、と思うのは、響がいまこれだけ話せている、という大切なことに、気づきにくくさせる考え方だ。
歩くことについても同じ。他の、手先の巧緻性、体力などについてもそう。以前はもっと、なにもできなかったのだ。希望を高くするのは悪くないが、現在の喜びに心が至らなくなるのは、よくない。ほら、見ようよ、響は楽しそうに笑っているのだから。
春休み中、響の園服が用意できたので取りに来てください、との連絡が幼稚園からあった。
僕は、響と一緒に取りに行こう、と思った。
というのは、響と僕ら両親は、このごろ、お話ができるから。
この感じは、分かって頂けるだろうか?
相変わらずメチャクチャ語も言うが、ところどころでしっくり、やりとりがかみ合う。
話している、という手応えがある。これはとてもうれしいことで、言語という手段によっても、響と僕らはしっかりと結ばれた感じが、する。お話ししながら、手を繋いで、園服を受け取りに。きっとそれは響の思い出に残るだろう。「ようちえん」という言葉は、まだ詳しいことは知らない響の心にも、何か特別な火として灯ったようだから。
なんて、センチメンタルになっていたのは僕だけで、結局日々の忙しさに取り紛れて、「あなた一人で取ってきて」ということになった。
休日の力行幼稚園。僕は自分の通っていた足立区の親愛幼稚園と、担任だった武澤先生(そんなことまで憶えている)を想い出しながら、留守番の人から園服一揃いを受け取る。
そうだ、きっと、響はあのころの僕のようなことを想っているのだ。ああいう感じで、生きているのだ。例えその言語は、充分でなくとも。
幼稚園に行く時、何か広い世界に出て行く不安も、響は持つだろう。
彼女はそれを、自分で、受けとめるのだ。僕らにできるのはそれをただ、見守ることだけ。
「続・歩くように 話すように 響くように」連載第24回より再録
―つづく―
「続・歩くように 話すように 響くように」
2006年3月20日~6月10日 中日・東京新聞夕刊文化面連載
より再録(データ等は当時のものです)。