どら猫マリーのDV回想録 その4
プレイバック・パンデミック・パニック(続)
何だろう、この人の明るさ。
最後の「はーい」はポライトネス(対話関係を適切に保つための言語的配慮)であって、特に意味はないだろう。私はほとんど、発言していないのだから。
いき。い、き💛
ひらがなでもいいだと? 高学歴をなめるんじゃないよ。
私は、ただでさえ「有・無」と枠いっぱいに書かれている小さな欄に、さらに「遺棄」と書き加えた。もちろん、漢字でね。そう、捨て置かれているんです。捨て遺されているんです。私たちは、ね。ひどい雄猫だ!と、言わんばかりの社会の様相。
そうなんですよ。ひどいんです! 人でなしですよ、人でなし!(猫でなし!?) 妊娠中から攻撃し始めて、果ては躾と称してポーやエリーまで。外に見える顔は避けて攻撃してくるなんて、DVの典型もいいとこですよ。いなくなって当然! 抹殺だ!
と、ある一定まで思うと、実はこうなる。
ひどくない。ひどくないんだ。彼は本当に頑張っていた。
と、いう風に、ね。まるで振り子のように、思考が真逆に動き出すのだ。
そして、突き詰めると、こんなダメ男を選んだのは私……という、自責の念の究極に陥る。決めたのは私。
でも、知らなかったんだもの。「愛」がどうにかしてくれるとも思っていたのだもの。それに産まれてきたエリーとポーは? ここまでくると、嗚呼、もう無理。言葉を飛び越えて嘆きになる。受け止めきれない。子どもたちに何て伝えよう。これを思考というのか、感情というのか、まるでエネルギー。高校のときのベクトルをもっときちんと学んでおけばよかった。そこにヒントがあるような気さえしてくる。そしてこのもどかしさや息苦しさには、身に覚えがあって、正常に機能していない家族の中で過ごしていたあの日々を思い出させる。
同時に、彼は本当に頑張っていたことを思い出す。
頑張ってもどうしようもない、の繰り返しの中で自分自身を失っていったんだ。
あれはいつのことだっただろう。酔っぱらって帰ってきて、鼻歌交じりにベランダで一服していた。そのうち、息をのむような悲鳴が聞こえる。「バカだ! えっナニこれっ うそっうそうそうそ」とずいぶん慌てていたっけ。飲んで帰るとくだをまくか、いちゃもんをつけられるか。布団の上から踏まれるか(これ、本当に星が見えますよ)、だから、息をひそめていたけれど、その晩はどうも様子がおかしい。
――話は変わって、韓国の豆知識。韓国の燃えるゴミの袋は、一番大きいもので120センチくらいあってとてもたくさん入る。ベランダにそれを置き、小さなごみをそこにためていって、いっぱいになったら外に捨てに行く――そういう方式をとっていて、雄猫さんが一服していたベランダにはそれが置いてあった。
その白い袋が口を開けてちょうどいい高さになっていたわけで…… そう、彼は何を間違えたのかそこで用を足していたのです。小さい方、ではなくて大きい方を。途中で気が付いて、その奇行に自分で目がテン。必死で隠そうとしていた、ということの顛末を知ったのはそれから数日後。本当に気まずそうだった。
気配がおかしいから、眠い目をこすりながら(本当は気配を消してさぐっていたのだけれど)「どうかしたの?」というと、「なななななな何でもない!ていうか、他に捨てるものある?」と、やけに優しかった。
早く寝るように促されて自室に戻って横になりつつ彼を見ていたけれど、他に捨てられそうなごみを集めて、動きにもごみ袋も(1枚がけっこう高い40円とかだったかな?)無駄がないようにしてこっそり捨てに行っていた。