どら猫マリーのDV回想録 その4
プレイバック・パンデミック・パニック(続)
やけに優しい、と書いたけれど違うのです。基本優しい人だったのです。
ごみ捨ては基本、雄猫くんがやってくれていたし。その時すでに、そのくらい、つまり白い大きなごみ袋と便器を見間違えてしまうくらい理性は崩壊していた。そのくらい追い詰めらていたんだと思う。
当時その国はMARSが流行して、経済は停滞して、子どもたちは生まれてかわいいさかり。何もしてやれない、未来が見えない、母親はアルコール依存症、妻は外国人という境遇。孤独は計り知れない。とにかく毎朝、毎晩、吐く。寝る直前まで映画を観て、朝はだいたいテレビはつけっぱなし。
見るに見かねて日本の両親がお金を送ってくれたことがあったけど、心の安定につながることはなくて、彼の中で惨めさが増しただけだった。郵便局に入金を確認しに行く道すがら、彼はやっぱり嘔吐した。自分でも道端でいきなりなことに驚いた、と言っていた。「ご両親に親孝行しなくちゃね、これでとりあえず足りる?」なんて封筒を渡してくれながら。
今でこそコロナが流行ってみんな分かったけど、当時は分かってくれる人はほぼ皆無。
病気が流行ることと、経済が停滞することと、それに巻き込まれていくことと、ドミノ倒しのような状態を想像することは、感覚的に分からない領域だったと思う。
遺棄。雄猫さんは、捨てたくなんてなかった。
でも、もう体も心もここまで荒廃していて…… どうしようもなかったんだ。
コロナが流行って、学校が長期休校になって…… 当たり前のことが当たり前でなくなって、そのおかげで今、私はある種の生きやすさを得てしまった。あのときは疫病が流行って、一家離散したのだ。誰もが理解する大義名分を得たのだ。
しかたなかった。もういいじゃないか。もう思い出したくない。思い出さなくていい。考えたくない。考えなくていい。のら猫が飼い主を得たように。もう冷たい夜も、おなかが空いてフラつく昼下がりもおさらばさ。家猫、最高。
じゃあ、暴力のことはどうなるの?
私たちは叩かれたり、踏まれたりしていい存在だった? 問いかけてみる。暴力ってどんなだった? はっきりとした何かがあったの?
答えはもちろん、NO。私は私が悪いと思っていた。いつから? 何か言われたの?
わからない。そうじゃない。でもそういうことになっていた。
逃げたかった、でも逃げられなかった。
するりとぬるりといつの間にか取り巻かれていたあの霧の中のような日々。
そして今でも雄猫くんをかばっている。仕方がなかったと。かばっている。雄猫くんをかばっているようで、実は自分を守っている。これ以上みじめな女にならないために。