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歌は消えない ー 暗い時代の香港ポップスヘッダー画像

難以言喻的香港生活所思 ―香港の現在、言うに言われぬ思い-

番外編 歌は消えない -暗い時代の香港ポップス-

小栗宏太

(つづき)

かつては「経済にしか興味がない」と言われた香港の人々だったが、民主化問題や愛国化問題など、多くの政治的イシューを抱えた返還後の香港は、人々の政治的意識も高まり「政治的覚醒」が進んだ*2 。 大規模な抗議運動である2014年の雨傘運動や2019年の逃亡犯条例改正デモもその現れだった。

本連載において倉田明子が紹介しているように、そうした運動の中では、参加者を鼓舞し、運動の大義を宣伝するようなプロテストソングも数多く生まれてきた*3 。しかし、そうした政治活動に直接参与する歌手は少数派であり、メジャーレーベルに所属する大物歌手の多くは、香港や大陸の当局を刺激することを恐れてか、沈黙を保ったり、暗にデモ隊を批判したりした。

そんな歌手たちの態度は、往年のファンたちの失望も招いた。政治問題が顕在化した香港では、歌手の政治的スタンスと音楽の消費は、切り離せないものになっていった。現実の政治、社会問題と乖離した(かのように見える)煌びやかなスターたちの存在は、もはや人々の共感を呼びづらくなったのだ*4

一方で2021年には、どういうわけか、そうした状況は一変した。現実離れした華やかなポップスを歌う歌手たちに、人々が再び熱狂するようになったのだ。

その際たる例が、MIRRORという12人組ボーイバンドの突然のブレイクだった。

2018年、香港の新興テレビ局ViuTVの公開オーディション番組『全民造星』をきっかけに結成されたこのグループは、2021年に入ると突如として香港中の注目を集めるようになった。きっかけがなんだったのか、私にはよくわからない。

ただ、年明けすぐからSNSで彼らに関する話題をたびたび目にするようになった。5月にはワンマンライブが行われて大盛況となり、6月からは一部のメンバーが出演した香港版の『おっさんずラブ』(大叔的愛)が記録的ヒットとなった。

その頃には、彼らの話題を目にしない日はなくなっていた。

ファンたちの熱心な追っかけ活動も注目を集めるようになった。街中にはメンバーが出演する広告が溢れ、ショッピングモールでPRイベントが行われれば、大勢のファンたちが殺到した。メンバーの誕生日が近づけば、街の一頭地に、ファンたちが共同で出資する広告も現れた。

「推し」に夢中になるファン(おそらく多くは女性)の活動の陰で、蔑ろにされる男性配偶者たちの悲哀にも注目が集まった。7月にはそうした男性たちが悩みを共有するFacebookグループ「うちの妻がMIRRORに嫁いで婚姻関係が破綻した問題を注視する会」も結成され、わずか数日のうちに参加者が20万人を越えた。

MIRROR現象をネタにするパロディも流行した*5
どこからどうみても、MIRRORは立派な社会現象になっていた。

MIRRORはとにかく明るく、フレッシュだった。政治へのコメントもしなければ、深刻な社会問題を歌うことはない。楽曲の多くは、アイドルソングにありがちな、ラブソングや応援ソングだ。MIRRORブームを取り上げたNew York Timesの記事は、彼らを「広東語で歌うBTS」だと形容している*6

2021年6月リリースのMIRRORの楽曲『BOSS』(Official Music Video)

 

*2 この政治的覚醒の背景は、倉田徹『香港政治危機:圧力と抵抗の2010年代』東京大学出版会、2021年、第2章「香港市民の政治的覚醒:経済都市の変貌」に詳しい。
*3 倉田明子「香港、抗う人びとの歌 1」
*4 小栗宏太「不協和音:香港逃亡犯条例改正反対デモに見るポピュラー音楽と抗議運動」『中国研究月報』75(2)、2021、22–37頁。


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