どら猫マリーのDV回想録 その5
マリーさんの誇りと絶望(話は少し、さかのぼる)
もちろん、集団生活も不向き。できない、できない、そんなことばっかり言われる毎日。
でもそこは、さすがS先生。自閉症なら脳の問題。
「でも、ポーちゃんの場合は心理的な方が強いかな」と一言。
ポーが描く絵や、遊びの発想を鑑みると、知的に障害があるとはとても思えない、とS先生は言った。自閉症が悪いと言っているのではない。知的障害が悪いと言っているのではない。正確な理解もされず決めつけられ、進路を決められてしまうなんて許せないといっているのだ。
ポーは普通学級に進ませるか否かで、保育園の先生、教育支援センター、保健所、小児科、大学の心理相談室で意見が分かれていた。だれもかれも障害の特性ばかりに目が言ってポーの発する言葉、見ているものに寄り添う人はいなかった。
自閉。自ら閉じてしまったこの子に感動してほしい。
そんな思いで、お出かけはどんどん増えていった。失われた2年、韓国での生活を、埋めたかった。早く人並みになりたかった。ポーやエリーの表情を見ては先生にメールし、アドバイスをいただいた。
この状況にあって私はとても元気だったことも事実。どうしてって?
それは、飛び出してこれた自分に誇りを持っているから。決断して世間で是と言われる良妻賢母を打破できたのだもの、社会学のジェンダー研究が暴くそれを。ビバ!社会学!
でも、失意は失意だったな。強がるのも大きく見せるのももうやめる。どう表現したらいいだろう。あの当時の私は、「レミゼラブル」を歌わせたら右に出るものは出ないだろうっていうくらい、絶望していた。
せっかくだからどこかのオーディションでも受けておけばよかった。きっとホール中を涙で包み込んだだろう。(言い過ぎ)