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どら猫マリーのDV回想録 その7

ニシキヘビ

時間が経過した今、「それを改めて振り返る」ということは新しい展開を迎えている。「それを改めて振返る」ことで、同じ出来事が異なって見えることもあるし、「それを改めて振返る」ということ自体に、新たな意味あいが生じてもいる。

決して、憂さ晴らしでも、無意味な正当化でもない。

質はどうであれ、研究になりつつある。恐怖や屈辱感や、後悔や……諸々のパワーの根源は今では影を潜めている。陽だまりの中の半分寝た猫が今、改めて何ができるのだろう。回復は忘却。あるいは、客観性か。

どら猫マリーさんはマリーちゃんと呼ばれ、定時に飯をくらい、その上、スティック型の猫おやつまでもらっている感じ。そーねー…と考えるうちに眠気に持っていかれる思考。陽だまり、最高。

これは立派な当事者研究なのです! ばーん!
(効果音。たぶん机を両掌でたたく音。)
声なき声を拾い集める立派な仕事なのです! だだだん!
(効果音。また机をたたいているけれど今回はこぶし)
なのに、私と来たら!
と、奮い立たせて、奮い立たせて、しかし進まず、どら猫マリーの回想録は、気が付いたら最後の記事から2年近い時間が経過していた。

歩いて歩いて、また元の場所に戻ってしまったような不思議な感覚。だけど、足だけは疲れている、ような。(立ち止まっていないのに抜け出せませんでした。)
実は、問題なのは思考回路だった。あの出来事は何だったのだろう。

何があった? 書き出してみれば、誰かに何かしらの印象を与えるだけの出来事が次々と思い出される。今なら断れるし、意義を唱えることもできるが、その当時は、息を吸うことすらできなかった出来事の数々。西日の強く差し込むマンションを思い出す。壁にかかった大画面のテレビ。

そこにあるもの、そこでの出来事、一つ一つを思い出そうとする。
ここでダメだ。思い出してみると、嘆きたくなる。
思い出すこと自体が辛い。みぞおちをつかまれるような苦しさ。

 

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