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難以言喻的香港生活所思 ―香港の現在、言うに言われぬ思い-

その4 ANIBOU
(日本国籍、日本在住、大学2年、20歲)

(つづき)

「自由民主主義を普遍的価値と見做す人々」とわざわざひとまとめにする必要性は、本来的には存在しない。だけど、自由や人権を守ろうとする運動を適切に展開していくための一方法論として、声を上げる「私たち」を、そうやって定義してみてはどうか。

もちろん「自由民主主義を普遍的価値と見做す人々」と一口にいっても、その中には様々な人々がいるだろう。日本人もいれば中国人も、アメリカ人もいるだろう。生まれ落ちた環境も違えば、性別も性的指向も違うだろう。でも自由民主主義を最後の砦と見なす点で共通している。

一人一人の多様な経験が、その人の自由民主主義の捉え方や支持の在り方に影響を及ぼし、一人一人の苦しみや喜びがいわばプリズムとなって、自由民主主義に内在する普遍的価値があらわになる。「自由民主主義を普遍的価値と見做す人々」とは、そういう人々のまとまりだ。そこにはきっとあなたもいる。僕もいる。

急いで付け足すと、これは香港人として今も香港で戦っている人々を、揶揄するための議論ではない。連載第一回目のOtaku氏のことばを想起してほしい。

かつて私は、自分は香港人だと簡単に口にしたし、誇りにしていた。でも今は、このアイデンティティが重すぎることに気づいた、その責任を背負う勇気も、能力もない。心の底では、この称号から逃げて逃げて脱出したい。

目の前のウィルスはいつかは消える、けれど、もっと致命的な目に見えないウィルスが、香港人アイデンティティをあえて背負う香港人を、いつまでも苦しめる。

「香港人アイデンティティをあえて背負う香港人」が抱えざるをえない根深い葛藤を、Otaku氏は端的かつ痛烈に描き出している。Otaku氏はこうも書いている。「香港人が自由を求める限り、正義が心の底にある限り、この状況は変わらない」と思う、と。

自由と正義を愛する「香港人アイデンティティ」を胸に、まさにその香港で起きていることを受け止めようとすること、あるいは抗おうとすること。「香港を救おう」「ウイグルを救おう」と嘯きながら、旭日旗を振りかざすこと。前者と後者にどれほどの差があるか、比べるべくもない。僕はナショナリズムを拒否しているのではない。視野狭窄的で偏屈なナショナリズムを拒絶しているのだ。

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