出版舎ジグ
jig-web 連載

障碍の児の思春期、ノートヘッダー画像

春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その6 -1 堀切和雅

入学式は長すぎず、来賓の祝辞といったものも簡潔にきりつめられていた。

なにしろここにいる生徒たちは体力の限界もそれぞれだろうし、集中のむずかしい子も多いのだろう。短い、生徒同士の挨拶の機会。いいな、考えてくれているんだな。

これはあとで分かったことだが、この講堂・体育館は小学部から高等部までの児童生徒の数に対しては著しく狭い。だから響の入学した日に迎えてくれたのも全校の児童生徒ではないし、その後も講堂でのいろいろな行事は、入れ替わり方式で行われるのを知ることになる。

聞いてはいたけれど、特別支援学校を必要とする子どもたちはすごく増えているのだ。

式の後にはそれぞれの教室に移動。響はこの頃にはある程度の距離を歩けていたので、僕ら両親は彼女の背中に手を添えて、従いていった。

建物はたしかに古く、あちこち継ぎを当てて何とか使っているような感じ。けれど車椅子やバギーで移動する子どもたちがほとんどだからなのだろう、渡り廊下は広く春の陽が両側から射してそこで交差し、淡い影をつくっている。

壁に貼られたたくさんの写真や絵。いろいろな子たち、さまざまな姿。
見えてくる、1年2組の表示。響はここで、どんな同級生たちと出会うのだろう?

クラスは全部で7人。担当する教員は3名とのことだった。入学式で僕の隣だったあの男の子も一緒だ。

障碍の様子は生徒それぞれに見えたが、車椅子やバギーなしで校内を移動するのに差し支えないのは、響ひとりだとわかった。

多くの生徒は、小学部やあるいは中学部からこの特別支援学校に通い続け、高等部に上がってきたらしい。まったく新しくこの学校の仲間に加わったのは、このクラスでは響だけのようだ。

保護者にも配られた週ごとの時間割を見ると、毎日、朝の会、帰りの会がある。授業にあたる時間帯には、自立活動、生活単元学習、グループ学習、作業学習、ロングホームルーム、認コミ(認知・コミュニケーションということだろう)とあり、いわゆる教科学習という区切りではない。ただし美術の時間は、ある。

身心のいまの状態によって大まかな組み分けをしているようだが、切りそろえるように級を分けているわけではない。また、そんなふうには切りそろえられない生徒たちだ。一緒に過ごす学校の時間の中で、組み合わせが活きるように工夫しているのだろう、とこれは後に思うことになる。

 


次ページにつづく

【春 待つ こころ】 連載一覧

↑

新刊のお知らせ