春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その6 -2
書いたように、普通学校の特別支援学級で響は小学生と中学生の時期、過ごした。
いろいろな壁を、ときには飛び越しときにはすり抜けていかなければならなかったけれど、少なくとも小学校低学年では普通学級の子たちと一緒に育っていくことに何の問題もなく、むしろ互いの違いは、互いにとって素敵な経験に繋がっていった。
「みんなが知っているひびちゃん」は、その小学校全体の雰囲気や醸し出される感情の、ひとつの軸にさえなっていたと思う。
小学校も高学年になると、響に積極的に関わろうとする児童が固定されてくる様相もあった。もちろん健常の児たち同士、学年全体と個々の児童の間にも、それぞれに距離のちがいが出てくる。響込みの教室で一緒に大笑いし駆け回っていたあの子が、この子が、女の子も、男の子も、いつのまにか以前とは異なる息づかいで立ち、ときには憂い顔の予感を含んでいるのを見かけることが、あった。
中学生になると、ここでも制度や学校の壁を遠回りしあるいは倒しながらというのは同じだったが、なによりも同級生たち自身に、誰とでも仲良くするだけの余裕がなくなってくるのがそれぞれのほとんど身体の声として、感じられてきた。
当然のことだ。自分の思春期の、早い時期を考えてみるといい。
一方響は天真爛漫なまま。それなりに複雑なことを言うようにはなったが、自分自身を疑わないという点では、幼児の部分を残している。精神的には、思春期とはまだ言えない。他の生徒と響の関心のうち、共通しない側面が増していくことは致し方がない。
それでも響を気にかけてくれる生徒たちはいたが、僕ら両親は響にどこで、どんな十代後半を始めてもらうのがよいのか、広い範囲で考えなければ、と思うようになっていった。
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