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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その6 -2 堀切和雅

そうは言っても決める前にはいくつかの特別支援校を見なければならないと思い、何とか通える範囲にあるいくつかを回った。

その頃──今もかも知れないが、特別支援学校も、知的障碍児を主に想定してカリキュラムを組み立てているところと、肢体不自由児、病弱児を対象として考えているところと、分かれているのがわかった。

これは困ったことで、そんなにはっきり分かれてはいない、実際は、と思った。

ともかくも見に行った学校のひとつは、知的障碍児が主な対象であるらしかった。見学会を案内していた教員らしき人は、「体力だけはつけてあげたい」とも言い、聞いていると、長距離走などをガンガン一緒にやっているらしかった。

教室や施設を引率して案内していく移動の速度も、普通以上ではないのかも知れないが僕ら家族にとっては異様に速く、すぐに疲れて歩けなくなる響を置いて行ってしまう。「配慮がない」と怒るよりも、哀しくなってしまった。たぶん響も。

特別支援といいながら、ひとりひとりを見ていない。
そういう、起こっていることの本質は、響も必ず感じる。

廃校になった高校の校舎を再利用して運営されている特別支援校で、それ自体は少子化の一方で障碍児者は増えているという現実に合理的に対応していることだと思う。

だがその廃校を活かした特別支援学校には、今どきはもはや聞かなくなった PCB (ポリ塩化ビフェニール)の中間埋設処理施設が、校舎の中ほどの階段の下にあった。法律に従って警戒色で大きく表示してある。

普通高等学校としては廃校になった経緯には、これもあったのでは? と僕は疑う。ただの推測だけれど。推測は、世の中で起こりがちだと僕が思っていることに、やはり影響は受ける。


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