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どら猫マリーのDV回想録 その13

カルトな私 partⅠ

  天国は

そして母娘それぞれに……決定的瞬間が訪れる。母はある日、
「天国は二人の国、と書くのです。地上生活をしっかりと行っていれば、夫婦ともども天国に行き、永遠に共にいられることができるのです。」
というありがたいみ言葉を聞いたのだ。そして……
「あんな男と死んでも一緒だってぇ!? 冗談じゃないわよ!」

ということで、ありがたい、ありがたい天国への道を母はあっさりとリタイア。
それ以降も、なんだかんだとイベントには誘われはするものの、それ以上のめり込むこともなかった。母はビールをくらいながら、高麗人参風味のお惣菜をつまむ。飲酒喫煙はもってのほかの統一教会なのに、である。「ま、これは効くわね」と、丸みを帯びたヘンな瓶入り漢方茶はそのまま台所の一員となった。

一方、天国への道に取り残されたのは私。母がそういうことになっているとは露知らず、「心が豊かになる時間」を過ごしていた。「ライアンの井戸」や「マザーテレサ」等、国際平和活動ビデオもおもしろかった。大学では日本語教育を専攻していたから、周囲はなにかと「グローバル」。それにも連動していたし、「これからのグローバル時代に身に着けるべき教養」のようにも思えて夢中になった。ビデオセンターでの活動は、1時間のビデオや講義、そして1時間のカウンセリングで構成されていたように記憶している。

  カウンセラー

「意思の強さってどうやって決まるんですかね。あんなふうに他者のために何かできるなんて。人を助けたいって思いは言語の壁を超えるんですね。」
なんて、心から感動していた。私は夢中で話し出す。失恋で骨折していた私とはもうサヨナラ! そして希望に満ちた気持ちでいっぱいで、カウンセラーさんの顔を見た。

寝ていた。

私は教員志望だった。スクールカウンセリング等の基礎講義も受講していたし、一応、それなりに名前のある大学で、勉強もしっかりやらされていた。カウンセラーがカウンセリング中に寝る?それとも、新しい話術なのだろうか。いや、違う。こくん、こくんと船を漕ぐカウンセラー。私はだまり、入れてもらったコーヒーとお菓子をいただきながらカウンセラーが起きるのを待った。
「あのう……あの人本当にカウンセラーさんなのでしょうか。」
そんな一言を、言おうか言うまいか。迷いながらも「大人なんだし、まさかねえ」という思いで、センターに通い続けた。

それ、無理があります
ビデオやセミナーに啓発されては関連書籍を読み、大学でも関連講義を聞いたりするうちに、私の大学生活はますます充実した。失恋で骨折するよりはよほどマシだった。本題、「統一原理」に入ったとき、私の知性は、理詰め。理詰め。理詰め。理詰めパワーが炸裂した。

それ、無理があります。
それ、理にかなっていません。
でもだったらなぜ、この世に貧困世帯があるんですか?
世界史をこうまとめるのはあまりにも乱暴です。

ビデオセンターの根っこが統一教会だということは、母の書棚の本で、実はとっくに知っていた。でも、当時の私は学びたかったのだと思う。出所は何でも良かった。
時は2000年代初頭。9.11の衝撃が世間を震撼させていたあの時期。日本語教育を通じて知り合った仲間が、あわや、第三次世界大戦の敵国同士になろうとしていた。新聞の一面を読んだところで、ポカーン。

 

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