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どら猫マリーのDV回想録 その13

カルトな私 partⅠ

大学の空き時間にちょこっとした国際関係の議論が始まっても到底ついていけなかった私は、本当に勉強がしたくて、知りたくて、しかも将来は“立派な教員”になりたいと思っているダサい女子大生だったので、ビデオセンターでの講義には本気で質問した。講義にきちんとした質問が返ってくる。そのことは、教会側にとっては衝撃だったらしい。

当初担当していたカウンセラーさんは対応しきれなくなり、私の目の前に座ることはあってもだんまりを決め込み、気配を消すようになった。たまに私を担当すると、「目の前で眠るとはどういうことですか?」とこの女子大生に叱責される。女子大生に言わせれば、スクールカウンセリング序論でもなんでも相談者の話の途中で眠ってよいという内容は一つもない、のだ。

  「時ではないようです」

セミナーのバックグラウンドが教会であるという私の認識が明らかになると、むしろ、「私たち、献身者は、徹夜で祈祷してるんです!」「マリーさんには“許し”と“寛容”が足りない」などと、甘えたことを言うようになったので、私はさらに言った。
「曲がりなりにも神のみ言葉伝えるんだったらその態度はないんじゃないですか?」
教会の立場に立った分かりやすい表現を選んでまで、不満を伝えたのだ。が、カウンセラーは仏頂面を決め込んでいた。もはやどちらがカウンセラーか分からなかった。

この施設には、カウンセラーたちにはリーダーがいて、さらに部長がいて、と組織があったようだが、リーダーでも部長でもダメ。私の理詰めにかなう者がおらず、最後にはずいぶんと年配の方が表れて、原理そのものへの質問、やっぱりおかしいという点への投げかけ等、質疑応答を繰り返しした。今思えばその人は、その地区の教会長くらいの人だったと思う。

理詰めといったって、たかが知れている。
「天地創造の神様がね、いるからこそなんですよ。人間をね、喜ばせるために、ね。」と、恍惚とした表情のおじさん。
「だから……その、天地創造の神様がいる、大いなる存在がいるっていうのは分かるんですよね……でもなんか、その先…」と、私。
「じゃあね、マリーちゃん、こう考えてごらんなさい。文先生はね、こう説くんですよ。ね、花という花は人間に見えるように高いものは下を向き、小さきものは上を向いて咲いている。これこそ、神の存在だ、と。地球こそがね、人間を喜ばせるために存在する、というんです。」と、情に訴えかけるおじさん。そして……。
「……は……、ハナミズキ! ハナミズキって、上向いてますよね、あれ」
と、うら若きマリーさん。
「……いやー…まいった…!」最終的にはそのおじさんが折れた。

そしてある日、母に電話が入る。
「お嬢さんは、時ではないようです。」
時……!?
私は、統一教会という「真の愛」を語る団体から出禁をくらった。たしか19歳のことだった。ちょっとした気分転換にはちょうど良かったのに。セミナーに行かなくなった私は少しつまらなくもあった。

 

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