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どら猫マリーのDV回想録 その8

マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” 編

そのシェルターに、ベトナム人女性は数名、滞在していた。おなじインドシナ半島の隣国のカンボジア人女性は、ベトナム人女性たちからは、やや仲間外れのような存在だった。ベトナム人女性たちによれば、「生意気」という理由だった。それは彼女の韓国語能力が高く、世話人との距離が近いためのようだった。
「カンボジアっていつもそういう感じだよね」
彼女は、たどたどしい韓国語でそう説明した。ベトナム人はベトナム人で集っていた。どうやらこれまでの国際関係の縮図がここにあるらしい。

隣国とはどうしても折り合いが悪くなる。とにかくずるがしこいのがカンボジアなのだ、とベトナム人女性は言った。しかしコミュニケーション能力、韓国語能力となると、カンボジア人女性がはるかに上級。日中の連絡役のような存在になりつつあり、それも気に食わないらしかった。

そういった中で、私だけはなぜか、両国から気に入られ、みんなから仲良くされた。
理由は、……よく分からない。何かにつけて世話をしたがる人たちが周りにいた。

離れていた少しの間にエリーが大きくなっていたことに気づく。肌着として使用していたユニクロのロンパースはやや食い込むようになっていた。まだ状態がよかったので、帝王切開で生まれたばかりのベトナム人女性に渡した。それも功を奏したようで、私は大恩人のように崇め奉られ、こそばゆかった。

カンボジア人女性の韓国語力の高さは、本来、彼女の聡明な性質にあるような気もする。現地では保育士の学校を卒業したと言っていた。そして韓国語は、夫のことが大好きで必死で覚えたという、愛の証だった。
「家に帰れば何でもあるよね。洋服もおもちゃも。でも戻れない。」
一つ一つ積み重ねた家族の日常に思いをはせた。私も持ち出せなかった者は多い。2人が初めて履いた靴も。へその緒も。部屋の落書きも。その日を境に私たちは特に仲が良くなった。

カンボジア人女性の日常はやや安定していて、シェルターの前に通園バスが止まり、通園を再開していた。仕事と住まいを探しているという。実家もしっかりしているので一緒に戻ってもいいが、子どもが韓国語の方が使い慣れているため韓国での滞在を希望していた。保育園に送るまでは、バタバタしていた。子どもが通園すると大きなため息をついて食卓についた。

「これ食べ・・・ないよね」

と、こんな食べかけなんかすすめて、こりゃ失敬!とでもいうように笑い、大げさにため息をつきながら、どすん!と座った。日本で言えばシュガートーストだろうか。韓国に行けば必ず見かける薄目の食パンにはマーガリンがたっぷりと塗られ、こんがりと焼けた表面がキラキラしている。端っこのぎざぎざは、さっき走っていった彼女の歯型だろう。

「さっきこれ娘のためにやいたの。おいしいよ? 私の朝ごはんていつも子供の食べ残し」といってほおばり、母親あるあるの万国共通に、私も笑った。

自分のためのインスタントコーヒーを入れて飲む。一瞬、ふと、彼女の横顔がたった一人の女性に戻る。一仕事終えました、という安堵と共に。

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